written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
今は亡き両親の遺産でお気楽に暮らしてきたモリー(ブリタニー・マーフィ)ですが、遺産の管財人が金を持ってとんずらしてしまったことから、あっという間に無一文。そこで、何とかありついた仕事が女音楽プロデューサーの娘のベビーシッター。ところがこの9歳の娘レイ(ダコタ・ファニング)がとんでも生意気でやなガキ。潔癖症で薬依存で、ワガママ放題。でも実は母親から十分にかまってもらえない孤独といらだちを小生意気な表情の下に隠していました。両親を幼くして失ったモリーには、レイとどこか通じるところがあるようで、二人は結構いいコンビになっていくのでした。でも、寝たきりのレイの父親のある事件をきっかけに二人の関係に亀裂が生じてしまうのです。果たして、この二人はよき友人の関係を築くことができるのでしょうか。
世間知らずのお嬢様二人の奇妙な友情物語というところでしょうか。片やモリーはキャピキャピ系の大人になりきれないお嬢様、一方のレイは幼くして老成してしまい、子供心を封印したようなお嬢様です。お互いに相手は見劣りするんだけど、自分にないものを持っている、そんな相互補完の関係が友情にまで発展するというお話です。どちらもハイソな育ちのお嬢様ですから、我々観客である庶民感覚は持ち合わせていませんから、共感するには程遠い設定なのですが、主役の二人によって、そこそこ微笑ましいある種のファンタジーにまとまっています。
ブリタニー・マーフィという女優さんは、「17歳のカルテ」や「サウンド・オブ・サイレンス」で尋常でない女の子を演じて印象的だったのですが、その後「8Mile」ではリアルな生身のヒロインを演じ、「ジャスト・マリッジ」ではバカだけど憎めないキャラを軽々と演じて、その演技力の奥行きを見せたのですが、今回はそんな彼女が、「ジャスト・マリッジ」に近いバカだけど大バカじゃない娘をコミカルに演じています。一方のダコタ・ファニングは「アイ・アム・サム」で天才子役と呼ばれた少女ですが、その後も一発屋でなく、名子役街道を邁進中です。ここでは、登場の仕方からして不自然に大人びた演技で、名子役というキャラクターそのものをパロディ化しているようでもあります。何しろ、彼女を観てるとまるで安達裕美のパロディを見てるような気分になるのですよ。この老成したキャラクターは名子役本人がそうなんじゃないかと思わせるところがあります。
脚本も演出も主演の二人にきちんとキャラクターを与えきれていないので、既存のイメージの延長線で二人を観ることになるのですが、それで何となく最後まで観れてしまうのがこの映画の長所でもあり、短所でもあると言えそうです。ボアズ・イェーキンの演出は全体を「何となく」まとめているという感じでして、最初は犬猿の仲となるモリーとレイの関係がいつの間にか仲良くなっているのを不自然に見せないですし、モリーと彼氏の関係も、ラストの発表会の仕掛けまで、さらりと自然に流しています。その軽さを微笑ましく思うか、中身スカスカだと思うかでこの映画に対する評価は分かれると思います。私はこういう淡々とした流れは嫌いではありませんし、主役二人の好感の持てる演技で最後まで楽しむことができました。唯一ドラマティックなエピソードとなる、遊園地のコーヒーカップの件では、ダコタ・ファニングに大芝居をさせています。普通なら、子役の立場であるファニングが、全編に渡って受けの演技に回っているというのは、こういう類の映画では珍しいのかもしれません。その結果、映画が後半になると、子役であるレイのキャラクターに深みが出てしまい、モリーが浅薄なままな印象になってしまいました。ですが、ラストの発表会で、レイの子供らしさを強引にアピールして、全体のバランスは何とかとれたというところのようです。
主役の二人でもっている映画という印象は脇のキャラの印象が薄いということがありまして、普通こういう人間の成長を描くドラマであれば、何かしら人生の先達というべき人間が登場しそうなものですが、そういう横丁の隠居的なキャラがいないのです。ですから、二人は自分の力で自分を成長させなきゃならないわけでして、この辺りはヒロイン二人にかなりシビアな設定になっています。ヒロイン二人にドラマを絞り込んだ結果そうなったのかもしれませんが、家庭的に恵まれていない子供が、自分を見失わないで成長するってのは結構大変なんだなあってところに思いを馳せてしまう映画でした。まあ、ハッピーエンドが出来過ぎだから、そんなところまで考えてしまったのでしょうけど。
お薦め度 | ×△○◎ | 役者のよさで見せて、モトは取れる映画になってます。 |
採点 | ★★★☆ (7/10) | せっかくの主演二人を生かしきれていないのが残念。 |
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