趣味の問題
UNE AFFAIRE DE GOUT


2000年12月7日 東京 シネマスクエアとうきゅう にて
富豪に選ばれた若者、その真意はどこに。


written by ジャックナイフ
E-mail:njacknife@aol.com


警察の留置場で虚ろな目をした若者ニコラ(ジャン・ピエール・ロリ)。彼の回想が始まります。の実業家フレドリック(ベルナール・ジロドー)は、レストランでウエイターをしていたニコラ(ジャン・ピエール・ロリ)は、中年の実業家フレドリック(ベルナール・ジロドー)に、自分の味見役にならないかと持ちかけられます。変な奴だと思いながらも、高給が得られることで彼はその申し出を受けて、フレドリックの味見役となります。仕事は文字とおりに彼の食事のテーブルに同席し味見をし、時には料理のオーダーをするというもの。ニコラはいつのまにか食事の嗜好もフレドリックと同じにされてしまい、じわじわとフレドリックの中に取りこまれていくのです。バイセクシャルとも一味違うこの二人に待っている結末とは?

「本が人を殺す」とうキャッチフレーズがホントにそのまんまだった「私家版」という大変面白いスリラーがありました。その監督であるベルナール・ラップがまたしても大変面白いスリラーを作り上げました。どちらにも共通しているのが、相手を自分の思うように動くように段々と追い詰めていくというところ。この映画では、味見役として雇われたニコラが、じわじわとフレドリックの思うように動かされてしまうというところが見所となっています。

味見役という仕事は確かに変な仕事です。一体、何のつもりでそんなことにニコラを選んだのか映画では語られることがありません。でも、どうやらフレドリックはニコラを自分の分身、言いかえるともう一人の自分に仕立て上げようとしているように見えます。一体何のためにそんなことを? その理由も最後まで明確には語られないのですが、段々とニコラはフレデリックのいいようにマインドコントロールされていきます。初めのうちは、好奇心と金のために中年オヤジの変わった趣味に付き合っているという感じのニコラだったのですが、段々と自分にとってフレデリックが欠くべからざる存在になっていくのです。男同士、お互いがお互いを必要としあう関係になるというのは、いわゆるゲイのイメージが頭に浮かぶのですが、どうやらそういう関係でもないようなのです。恋愛関係ならお互いが相手と向きあう関係になるのですが、ニコラとフレドリックは向かい合うというよりは、同じ方向を見つめるような関係、(恋愛時の比喩的表現でない)文字通りの一心同体になろうとしているように見えます。

まあ、それはニコラが望んだことではなくて、フレドリックが望んだことに、若いニコラがまんまとはまっていく図なんですが、その術中にはまる展開をベルナール・ラップがクールに淡々と見せて行くあたりが見事です。ニコラの恋人は彼が段々と人が変わっていくのを見て、危険を察知して忠告するのですが、その言葉はニコラには届きません。一見、ニコラがゲイにカミングアウトしたかのようにも思えるのですが、映像からは、意外とゲイのイメージは希薄なのです。

この映画の面白さは、人の心を自分の思うようにあやつるそのテクニックにあります。ニコラは段々フレドリックがいないと自分の存在が危うげなものに思われてきます。そして、フレドリックが素っ気無い素振りをすると嫉妬まで感じるようになります。どうしてこれが恋愛の方向に発展しないのかは劇場でご確認頂きたいのですが、私もうまく説明できないけれど、中年男に取りこまれていくニコラの心理には納得してしまうものがありました。

その中で興味深かったのは、フレドリックが、ニコラに味見をさせて、それを言葉に表現させることです。言葉を媒介として、二人は体験を共有するのです。しかし、それには条件がありまして、二人の感性、嗜好、体調が同じでなければならないのですが、フレデリックはニコラに対してそれを要求し、そして実現させているように見えます。普通、感情や生理を言葉で語り尽くすことはできないと思われています。どんなに言葉を尽くしても、所詮別の人間なんだから、同じように感じ取ったり理解することは不可能だと思っているのですが、逆に同じだったら、言葉を媒介に全てを共有することができるのかもしれないのです。そう考えるとこれは精神的クローンの物語、或いは、ピグマリオンのような人造人間怪談と言うことができそうです。だとすれば、要は金持ちの道楽話なんだなあ、きっと。


お薦め度×ぞくぞくする展開、異常性とその説得力。
採点★★★★
(8/10)
解釈も結末も観客の手に委ねられるあたりの余裕が好き。

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