written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
時は1961年、ナチ戦犯であるアイヒマンがついにつかまりエルサレムの地方裁判所で彼の裁判が行われます。アイヒマンは、ユダヤ人を強制収容所へ送りこむ任務を担っていました。彼の罪状を証明するためにかつての収容所の生存者たちが証言を行います。ところが、アイヒマンはそれらは自分の責任の範囲外だとします。つまり、上の命令に従っただけで、自分としては意志に反することではあったが、職務として遂行したまでだというのです。見た目は只のオヤジですが、言うことはなかなかにしたたかであり、またその言い分にも一理あるというところが結構コワイ、ドキュメンタリーです。
アドルフ・アイヒマンの裁判のドキュメンタリーです。裁判のそれも審理部分のみをピックアップし、アイヒマンというユダヤ人虐殺の張本人と呼ばれる男の実像に迫っていきます。エイアル・シヴァン監督は、裁判記録のビデオ素材に綿密な編集とデジタル加工を加え、独自の時間と空間を作り出しています。この人はイスラエル人なのですが、この裁判がある種のプロパガンダに使われているというシニカルな視点を持っているのが興味深いところです。ナチスの大量虐殺行為においては、疑うことなき被害者とされるイスラエル人が、その当事者の裁判を心情的な部分をカットして描いたというところにこの映画の意義があると思いました。その視点は、ナチスドイツの行った行為がそれほど特別なこと、特別な人間の行った行為ではなかったのだということを見事に指し示しています、そして、被害者であった人間が、同じ事の加害者にまわる可能性まで示唆しているのです。これは恐ろしく、そして不愉快な映画と申せましょう。
映像は、アイヒマンを執拗に追いかけるのですが、追いかければ追いかけるほど、彼が特別な人間ではなくなってくるのです。自分の職務を忠実に遂行することで、良心の葛藤を回避し、自分を人間ではなく、システムの一つの部品としてしまうことで、人間としての責任も回避してしまう。これは、最近の日本の警察の不祥事や、破綻した金融機関の記者会見と同じような印象を持ってしまいました。
一方、この裁判では、アイヒマンの行動がどういう現実をもたらしたかを多くの証人に語らせています。その内容のおぞましさは、耳をふさぎたくなるものではあるのですが、それを聞くアイヒマンはあくまで小役人の顔を崩しません。全てを彼がしょいこむことはフェアじゃないけど、この男の無表情さは最近の猟奇殺人の犯人と一糸通じるものがあります。ただ、猟奇殺人犯であれば、極端な異常者ということで、切り捨てることもできるでしょうが、このアイヒマンは、異常者と切り捨てるには普通過ぎたのです。
自分の行動の結果が、多くの人間に残酷な死をもたらしたのであれば、それなりの動揺もしようものですが、そのあたりの感情をアイヒマンは表には出さないのです。彼を糾弾しようとした検察側もなんだか拍子抜けとともに、苛立ちがつのってきます。それをたしなめる裁判長は、この裁判をアイヒマン個人を裁くためのものとして位置付けようとしていますが、裁判が段々と、ナチスドイツのホロコーストに対する告発の様相を帯びてきます。裁判長はそれでも、アイヒマンが自分の行動にどういう責任を感じ、どう思っているのかを問いただそうと努めます。アイヒマンはそれに対して、自分の意見をなかなか述べることはしません。彼はナチスドイツというシステムの中でも、自分の意見を表に出さず、上の意向に忠実に沿った行動をしたまでなのだそうです。しかし、問い詰められた彼は、自分の行動は本意ではなかったと言いきります。それはその場しのぎの口からでまかせなのでしょうか。映画はそうではないという見せ方をしています。
この裁判は、アイヒマンに、悪魔のような人でなしというレッテルはおろか、狂人のレッテルも貼ることができなかったようです。彼は確かに絞首刑になりましたが、それは行動の結果としての部分にしか過ぎなかったようなのです。この映画を観ている限りは、その残虐な行動の原因の部分までを追求できたとは、思えないのでした。人間はシステムの中に入りこんで、人間としての良心に寝たふりをしてしまえば、どんなことも出来てしまう。狂人が一人いれば、何百万人の人間をその狂気によって動かすことも可能だと思うと暗澹たる気分になります。でも、自己責任が曖昧な日本という国を省みたとき、このアイヒマンのような人間は山ほどいますし、狂気のリーダーシップが日本を支配したとき、我々はそれに対して刃向かうことなく、淡々と従ってしまいそうな気がします。いや、将来のことではなく、東海村の原発事故や、警察の不祥事などにも、日本のアイヒマンが関わっているように思えてならないのでした。自分は果たして、人としての責任を負えるのかと思うと、三流サラリーマンのオヤジは甚だ心もとないのです。
お薦め度 | ×△○◎ | 映画の中だけ見ると只の小役人なアイヒマン。 |
採点 | ★★★☆ (7/10) | 不祥事警官の記者会見と相通じるものがありました。 |
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