written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
1971年、泥沼化したベトナム戦争はアメリカ国内にも厭戦気分をもたらしていました。それでもルイジアナの基地では新兵たちへ厳しい訓練が日々行われ、その訓練の仕上げが行われる仮想ベトナム地域はタイガーランドと呼ばれていました。そんな中でボズ(コリン・ファレル)は軍に対してあからさまな反抗態度をとることで、上官からは目をつけられていました。彼の望みは生き残ること、そして同じ小隊の仲間に除隊になるための知恵をつけたりもしていますし、自分も脱走の計画を持っていました。彼は国や軍隊が自分にさせようとしていることにガマンならなかったのです。でも、それはあちこちとの軋轢を生じることにもなってしまうのです。
軍隊という規律の中では、人は普段とは違う価値観で行動することを余儀なくされます。それは時として狂気をはらむ人でなしの行為ともなります。この映画の中で、ボズはその狂気に正面きって刃向かおうとするのです。基本的には彼の望みはベトナムで死にたくないということ。でも、ただそれだけじゃない、彼は自分の正しいと思うことに忠実に行動します。それはキレイ事に見えなくもないのですが、軍隊という通常とは異なる世界では、とんでもない根性と勇気が必要になります。それを知っているからか、上官である軍曹たちも一目置いているように見えます。
と、あらすじだけ追うと、何か舞台劇を思わせるような設定に見えてくるのですが、この設定をまるでドキュメンタリー映画のように描いているのがすごいところです。監督のジョエル・シューマッカーは「バットマン・フォーエバー」「表決のとき」「愛の選択」「フォーリング・ダウン」と様々な題材を扱いながら、きちんと娯楽映画の枠から逸脱しない映画をつくる職人です。今回は、人工照明を極力排し、16ミリの手持ちカメラで全編を撮影することで、リアルな臨場感が生まれ、ドラマの作為的な部分を可能な限りカバーすることに成功しています。まる、ドキュメンタリー映画のような画質なのですが、実際のドラマは極めてまっとうです。はみ出し者だが、小隊のヒーローであるボズ、彼の理解者で親友であり、そして語り手でもあるパクストン、彼らと衝突し最後は命まで狙うウィルソンとキャラクター付けも明快で、その織り成すドラマは普通の劇映画の作法をはみ出すことなくストレートな展開を見せます。
主人公は、軍隊という集団の中では規律を守らない困った奴です。でも、それが狂気の中の正気として描かれることで、この映画が単なる戦争映画でない普遍的な「狂気と正気」の物語となりました。ある集団が事を成すためには、それに対する冷静な視点は邪魔になることがあります。大義のためには少々の犠牲はやむを得ないということがあるのです。その時の犠牲とは人命の時もありますし、理性や倫理が犠牲となることもあります。ボズは、そこで自分のエゴや倫理観を、愛国心よりも優先します。決してキレイ事を並べる理想主義者ではないけれど、自分の思うところを表に出して行動します。それがお国の一大事の時には、全体の足を引っ張ることは間違いないけど、彼や彼の友人たちを救うという図式には、何かこう、あまり触れられたくない部分をえぐられる感じがあります。何が正しくて何が間違っているか、何が正気で何が狂気なのかは、歴史の変遷によっても変わってきますし、簡単に白黒つけることは難しいです。ですから、普通はその時代や周囲に流されることで自分は大きな流れからはずれてないことを確認するのが精一杯です。ボズのように、そこに正面から向き合うことは、周囲との様々な摩擦を起こすのですが、それこそが、勇気ある自由への礎であると、この映画は語ります。わかっちゃいるけど、なかなかできない、そして、弱い者の犠牲の上にささやかな自由を手にしている自分のような人間には、耳の痛いお話でございました。
16ミリの手持ちカメラによる撮影は、粗っぽい画質のリアルな映像を生み、殺伐とした空気感を出すことに成功しています。しかし、シューマッカーの演出は、登場キャラクターを明確にしたまっとうなドラマをその映像上に展開しており、また、画面のどこかに揺らめく炎を配した演出など、ドラマとしての作為を前面に出していますので、画質のリアルさとの間でアンバランスになってしまったように思います。お話としては、寓意ある風刺劇のようなんですが、これを実話のように見せたかったのかなあ。
お薦め度 | ×△○◎ | 人間の自由と希望について考えさせてくれる映画。 |
採点 | ★★★★ (8/10) | 今だからこそ見直すべき歴史があってこの映画もあると思います。 |
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