written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
ジュリア(ローラ・レーガン)はある晩、幼馴染のビリーから呼び出しをうけます。彼はどうも神経を患っているようで、「奴らが来る」と言い残して、拳銃自殺を図ります。ショックを受ける彼女の前に、ビリーの友人だったというサムとテリーがジュリアの前に現れます。二人はビリーが恐れていた何かをやはり恐れているように見えます。そして、それからというもの、ジュリアの周囲でも不思議な物音や人影のようなものがうごめき始めるのです。「奴ら」とは何者なのでしょう。
子供は暗闇を怖がります。大人だって怖いと感じるときはありますが、子供にとっての暗闇はそれ以上の存在となります。後、半開きの扉の向こうに見える闇も怖かったです。そういう視点から始まるこの映画は、なかなかいいところ突いてくるなあって、感心しながら観始めたのですが、そこから先がほとんど物語が進展しないのです。その昔の「13日の金曜日」と同様、設定だけ見せたら、後は恐怖シーンを並べただけという感じの映画になってしまいました。これは脚本の責任だと思いますが、謎を振っておいて、何の説明も解釈も見せないってのは、映画としては、観終わった後の満腹感がまるでなくなってしまうのです。謎についての伏線すら見せてくれないので、冒頭で「奴らが来る」と言わせた、「奴ら」の正体が見当もつかないまま終わるってのは、精神衛生上あまりよくないです。
これが、「奴ら」の存在を最後まで曖昧にしてくれるのならまだしも、「ゴジラ」のパトリック・タトポロスによる「奴ら」が画面の中で実際に動き回ってくれるので、だったら自己紹介くらいしろよと思ってしまうのです。
暗闇の中から何者かがやってくるというのは、一種の都市伝説でもありまして、去年の「ジーパーズ・クリーパーズ」では、都市伝説レベルから話を始めて、それをモンスター映画として仕上げることに成功しています。(「インプラント」はその2匹目のドジョウなのかも)ただし、「ジーパーズ・クリーパーズ」では、その「モノ」の正体については、様々な解釈の余地を与えてあって、観客のイメージが膨らむ工夫はしてあったのです。ところが、「インプラント」における「奴ら」は解釈の余地を与えられずに、「さて何でしょう」のままで終わってしまっているのです。だから、怖さが身近なところまで伝わってきませんし、「だから何なの?」という気分で映画館を出ることになってしまいます。
しかし、ロバート・ハーモンは恐怖演出で手堅いうまみを発揮し、「奴ら」の実態の見えそで見えない演出など、いいところ多いのですよ。また、ローラ・レーガンのちょっとモノセックス風な風情がなかなか魅力的でした。それだけに、脚本のつまらなさが際立ってしまったように思います。これが、テレビ「世にも不思議な物語」の30分のエピソードだったらまだ許容範囲なのですが、お金を取って見せる映画館で1時間半使ってやる話ではないです。こういうホラーというのは決して嫌いじゃないんですけど、設定だけよいという、いわゆる「出オチ」みたいな映画を人のオススメするのはためらわれてしまうのでした。
お薦め度 | ×△○◎ | こんな話に1時間半も使うなようって言いたくなった。 |
採点 | ★★★ (6/10) | ヒロインと演出の手堅さでようやっと娯楽映画の水準をキープ。 |
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