written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
エルサレムに入場したイエス(ジム・ガヴィーゼル)とその弟子たちですが、ユダの密告により、イエスは捕らえられてしまいます。ローマ総督ピラトも彼の処遇に窮するのですが、ユダヤの祭司たちと民衆は、彼を殺せと騒ぎ立てます。ついには、彼を鞭打ちの刑として半殺しにしてしまうのですが、それでも納得しない民衆に、ついにはイエスに十字架磔刑が申し渡されます。ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされて引き回されるイエス。そして、ついには彼は十字架にかけられて、現世での命を絶たれるのでした。
私自身はクリスチャンではないですし、新約聖書を通読したこともないので、この先は映画ファンとしてこの映画について書かせてもらいます。とにかく、キリストの最後の12時間を、あのメル・ギブソンが監督して話題となっている映画です。老婦人がショック死したとか、ユダヤ人差別をそそのかす映画だとか、クリスチャンは是非観るべき映画だとか、色々なニュースを聞いていました。で、本編を観てみれば、確かにこれは問題作というべき映画になっていました。
原作はもちろん新約聖書なのですが、この映画は、それをどう消化したのかというと、キリストが十字架に磔にされるまでの12時間にフォーカスをあて、さらに、そこでボコボコにされるキリストに焦点を絞った映画になってます。その結果、ユダヤ人に捕らえられ、暴行され、なじられて、ローマ兵に鞭打ちされて、イバラの冠をかぶせられて、十字架背負わされて引き回されて、十字架に手足を釘付けにされるキリストの映画に仕上がりました。彼の教えといったものは、申し訳程度に回想シーンに登場しますが、この映画はキリストの全体像を明らかにしようという意図は毛頭なく、単に、ボコボコにされて血塗れのキリストをこれでもかと見せ付けることで、タイトル通りのキリストの受難を描いているのです。クリスチャンが見ると、そのキリスト虐待の中から、贖罪という大きなテーマを汲み取ることができるのかもしれないですが、私のような宗教の縁のない人間からすれば、単にある人間がボロボロに破壊されるまでを描いたショーのようにしか見えません。じゃあ、徹底的にリアルなのかというと、幻想的な悪魔の登場シーンがありまして、このあたりは一種のファンタジーの趣もあり、リアルに徹するのでもないとすると、やっぱり、キリスト虐待を見せたい映画なんだなというところに落ち着いてしまいます。
こういう映画は、これまでなかったのかというと、実は、ホラー映画ではよくあるんですよね。「サンゲリア」などで知られるイタリアのルチオ・フルチ監督なんてのは、残酷シーンを意識的に見せ場として挿入することで、娯楽映画を作ろうとしています。問題となった、手に釘を打つというシーンは、フルチの「ビヨンド」というゲロゲロホラー映画のオープニングにあります。でも、もともとフルチの映画は、そういう恐怖感を煽って、観客を怖がらせることを狙った娯楽映画なわけです。「パッション」もそういう映画だと思えば、オープニングのホラー演出から、不必要に長い、ゴルゴダの丘までの市中引き回しシーン、全てをひっくり返すラスト(これ、聖書に書いてあるから仕方ないけど、映画としては、ほとんど夢オチに近い結末です。)も、フルチの映画なら、さもありなんと納得できるものがあります。
この映画では、母マリアの登場回数が多く、母の悲しみと苦悩が前面に出ます。その結果、神の子としてのキリストよりも、人間キリストが前面に出てくることになりました。でも、一人の人間として見ると、キリストってかなり変な人だということが見えてきます。弟子やピラトとの会話も、相手の質問にきちんと答えないし、どうも相手を見下したところがあります。まともに話をしようとしている相手は神だけみたいなんですよね。神の愛は一方的だからということになるのかもしれませんが、人とのコミュニケーションはまともにとれていないのですよ。なるほど、これだと12人の弟子がスポークスマンになってやらないと、まともに布教活動なんかできなかったろうと思いますもの。普通は、人としてはあまりお近づきになりたくないタイプですよね。奇蹟を起こすのだから、人が集まる、それが悪魔の仕業と分かれば(と見えてしまえば)、人々は手のひらを返したように、キリストを排斥する方に回るのもやむを得ないと言えましょう。2000年前のサイババみたいなもんだと思えば、何となく民衆の行動も理解できます。
ただ、その中で、ローマ兵のキリストのいたぶり方の徹底ぶりが目に付きました。目に付くというよりは、目に余るという感じでしょう。ここだけは今風というか、イラクにおけるアメリカ軍の捕虜虐待とだぶるところがあります。兵の統率や教育が不十分であるのは、今も昔も変わらないということでしょうか。残酷な振る舞いを楽しんでいるが如き彼らの行動は、キリストがどう贖罪しても贖えるものではないということを強く感じてしまいました。そして、ひょっとして、その残酷な振る舞いを映画を作る方も楽しんでいる節があるのです。でも、それをけしからんというつもりはないです。今の日本だって、暴走族の集団暴行とか、ドメスティックバイオレンスといった記事がメディアを賑わわせています。虐待を楽しんでいるとしか思えない人間がいることを否定できないですからね。それを映画という仮想現実の中でやっている方が、実際に行うよりはずいぶんと罪が軽いです。
そう考えた上で、これを残酷ホラー映画だと思えば、そこそこの出来栄えということになります。後半、ドラマをパスして、虐待描写のみに終始した構成と演出は、ホラー映画としては芸がないです。また、ラストの処理も、原作(新約聖書)がそうだからといって、そのまんま見せるのは、知恵がないように思います。キリストという題材を選んだのは、なかなかの眼力だとは思いますし、物議をかもすのを承知で作っているのもミエミエですから、エクスプロテーション映画としては成功しています。ただし、普通の人が観に行く映画ではないです。クリスチャンだから、観に行くべきだというのでは、クリスチャンがかわいそうだと思いますもの。聖書を読んでいる人はこの映画を特に観に行く必要はないでしょうし、観に行って血みどろのキリストにガン飛ばされる必要もないです。新手のホラー映画に興味のある人にはオススメしたいですね。キリストをネタに笑いをとった「ライフ・オブ・ブライアン」という映画があったそうですが、これはキリストをネタにスプラッタホラーを作ってみたということで、そっちのファンが楽しむ映画なのだと思います。
お薦め度 | ×△○◎ | 残酷ホラーの一つの行き着く先だと思ってご覧あれ。 |
採点 | ★★★ (6/10) | リアルなのかファンタジーなのかわからないのが何か病的。フルチっぽい。 |
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