written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
死刑反対論者であるデビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)は同じ活動家である同じ運動家であるコンスタンス(ローラ・リニー)をレイプして殺した罪で死刑となり、その執行が後4日に迫っていました。デビッドは女性記者ビッツィ(ケイト・ウィンスレット)を指名してインタビューを受けると言い出します。3回のインタビューの中でゲイルはそれまでの経緯をビッツィに語ります。大学教授だった彼がレイプの冤罪で学籍を追われたこと、酒に溺れて妻に愛想をつかされたこと、そして、コンスタンスの殺害については、何者かの陰謀だと言います。最初は信用していなかったビッツィですが、彼女の宿泊先に殺害現場のビデオが送りつけられたことから、事態は急展開を見せ始めるのでした。でも、死刑執行はもう秒読み段階に入っているのです。
死刑反対論者の論点には主に二つあると思ってまして、人の命を他人が好きに扱っていいのかという死刑そのものを否定することと、死刑という判決に誤りがあった時に取り返しがつかないという運用上の問題の、二点が表に出て来やすいです。前者に関して言えば、一応ごもっともと思いつつ、被害者や被害者の家族からすれば、死をもって償えと思うような犯罪もあるとも思うわけです。一方、後者の立場に立つと、これは確かにその通りで、人間の過ちを否定できない以上、やっぱり死刑はよくないと思ってしまうのでした。
この映画では、死刑反対論者である、デビッド・ゲイルが死刑の判決を受けてしまうという大変皮肉な設定で、死刑制度に対する反対という見解を示した映画ではあるのですが、その前にミステリーとして大変面白くできています。最初は死刑制度を告発する「デッドマン・ウォーキング」のような映画かと思っていると、段々謎が深まっていくという展開で、え、これってひょっとしてミステリーなのかと思い始めると、女性記者につきまとう謎の影が現れて、さらにスリラーの様相を呈してきます。一体、デビッド・ゲイルは本当にレイプ殺人犯なのか、もし、それが冤罪ならば、コンスタンスを殺した真犯人は誰なのか。
ラストに向けて、意外な事実がわかってきて、最後の最後に全てのパズルのピースが揃うあたりが見事でした。特にそのラストに向けて伏線が仕掛けてあるのですが、その伏線こそが死刑制度の矛盾をついているというのは、チャールズ・ランドルフの脚本のうまさなのでしょう。中盤、死刑制度について、州知事とテレビ討論するところ、新しい証拠が出てきても、死刑執行を延期することができないところ、その執行については、州知事の強い意向が反映しているというところ、などなど、それらがラストの伏線になっていて、見終わってしばらくしてから、うーん、うまいなあって改めて感心してしまいました。
以下はこの映画のラストに触れざるを得ないので、ご注意下さい。
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さらに、この映画に面白さを与えているのが、ケビン・スペイシーが怪演(熱演とちょと違う)しているデビッド・ゲイルのキャラクターでして、優秀な大学教授で、よき父親であり、人並み外れた頭脳の持ち主であるこの男が、どうして、むざむざ死刑判決を受けてしまったのかというところが一つの謎として浮き上がってくるのです。ひょっとして、こいつはコンスタンス殺しの真犯人を知っているのではないかと思わせておいて、ラストで、結局こいつが全ての真犯人だったとわかるところが、もう一つのドラマを感じさせて圧巻でした。デビッドが全ての真犯人というのは、ちょっと見解の分かれるところではありますが、いわゆる天才知能犯の完全犯罪という解釈もできると思います。
これをデビッド・ゲイルの完全犯罪と思うと、一種猟奇犯罪の変形パターンということで、江戸川乱歩のような味わいを感じさせます。偏執的ともいえる執念の犯罪ということもできるのですが、スペイシーのつかみどころのない演技がラストで正気と狂気の間にあったのかと思えてくるのがうまいです。コンスタンスは他人の命を救いたいという一心から死刑反対運動に身を捧げているのですが、ゲイルの方はなぜなのかがよくわかりません。自己顕示欲のようでもあり、自己満足のようであり、そのあたりの曖昧さをラストシーンで、舞台型犯罪を匂わせるあたり、かなり巧妙なミステリーということができましょう。
そのミステリーの面白さの上に、死刑制度についての主張をきちんと出しています。ただ、死刑制度そのものの是非と、人間の過誤の問題は別物だと思うのですが、そこを一緒くたにしているあたりは、その主張を弱めているように感じました。それは、偏見とメンツにこだわる州知事(明らかにジョージ・ブッシュを意識している)を攻撃対象としたからだと思われます。確かにこの映画に登場する州知事は、死刑制度は制度として正しく、その運用に当たってミスはないという(根拠の希薄な)信念を持っています。なぜ、そう思うのか、その偏見の源となっているのは何なのかというところまでは、この映画は見せてくれないのですが、日本でも同じことが言えるかもしれません。日本でも、役人はミスをしないし悪意を持った行動をしないということを前提としていて、もしもそういう事態が判明したとき、その事実をなかったことにしようとする動きが感じられるからです。人間は過ちをする、そして、過ちを認めたら、過ちは非難しても、認めたことは評価するという方向へ持っていかない限り、死刑制度は改善されることはないと思うのでした。
役者では、ケビン・スペイシーがただの冤罪者に見えない胡散臭さうまく出していました。また、善意と正義感のキャラを演じたローラ・リニーは奥行きのつけにくい難しい役どころを熱演していました。ケイト・ウィンスレットは、大女優の貫禄が出てきまして、最終的にはこの物語で一番の被害者である女性記者を熱演しています。マイケル・セラシンのシネスコ画面をフルに使った画面作りも印象的でした。
お薦め度 | ×△○◎ | 死刑の是非を問うんだけど、まずはエンタテイメントってのが偉い。 |
採点 | ★★★★ (8/10) | ラストに垣間見えるシニカルな視点が英国監督アラン・パーカーの面目躍如。 |
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