written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
学校の先生をしていた父の死を聞いて故郷に戻ったルオ、彼の母ディは父親の遺体を担いで村まで運びたいと言い張ります。そんな人手も集まらない年寄りと子供の村なのに。ルオは父と母の写真を見て、その馴れ初めを思い出します。若き日の母親、18才のディ(チャン・ツィイー)は新しくできた学校に赴任してきた若い先生に、一目惚れしてしまいます。彼女の想いは募る一方ですが、なかなか自分の存在を伝えることができません。先生が子供を送り迎えする道で待ち伏せしても、先生の前に姿を現すこともできない彼女。彼女の家が、先生の食事当番になる日が来て、やっとまともに口を聞いたその日、先生は町から呼び出しを受けて、村を去らねばならなくなるのですが.....。
かなり評判が高い映画でして、予告編を観て、美少女ヒロインの純愛物語を期待してスクリーンに臨みました。ところがオープニングはモノクロ画面にトラックが走っていくというもので、そのまましばらくは、父親の死で故郷に戻ったルオの物語が続きます。父親の遺体を町の病院から、村までトラクターでなく、人手で担いで運ぶことに固執する老いた母とルオのやりとりは、中国も日本も同じなんだと想わせる、ぎこちなさと妙な距離感があります。そして、回想シーンとなると、モノクロで描かれてきた村の殺風景な景色に、美しいカラーが広がっていきます。その美しい野原を駆け回るヒロイン、ディーの可憐なこと。そこから先は美少女ディーが若い先生への募る想いの顛末を描く純愛物語になっていきます。
好きな人に伝えられない想いのもどかしさ、視線が合っただけでワクワクする気持ちは、男性と女性の区別なく、誰しも一度(人によっては何度も)は経験したことがあるのではないのでしょうか。そんな気持ちを美しい絵の中で、コミカルにそして切実に見せる展開が圧巻です。ヒロインのチャン・ツィイーはこの映画で認められて、大作「グリーン・デスティニー」に抜擢されたそうですが、娘が女になっていく微妙な一瞬に出会ってしまった男性に対する募る想いを共感を呼ぶ形で演じています。先生の授業を外から聴いている彼女の幸せそうな笑顔が絶品です。また、彼女が野原を先生の姿を追ってトコトコ走る姿が大変いとおしくて、それを見ているだけで何だか胸が一杯になってしまいます。見様によってはストーカーに見えてしまうかもしれませんが、恋愛が自由じゃない時代、それも身分違いの恋ならば、ひたすら慕いつづけることしかできません。想う人とすれ違う、視線を交わす、その一瞬に込める気持ちは、やはり美しいと思います。当時はストーカーという言葉もなかったでしょうしね。ストーカーというのが出てくるようになったのは、恋愛の様変わりというよりは、個人尊重が肥大しすぎて歪んだ結果なのでしょう。「自分は他人と違う特別な人間だ」と思いこんだ(あるいは思い込まされた)アホが、他人の領域も自分の都合で踏みにじっても平気なストーカーになっていくのだと思うわけです。コミュニティの中できちんとその役割をまっとうしている人間が、誰かを好きになって、その人とすれ違うためにじっと道で待っているのを行為だけ見るとストーカーになってしまうのですが、この映画のヒロインは断じてそういう類ではないと声を大にして言いたいと思った次第です。(誰もストーカーなんて言ってないか。)
映画は、ディと先生の恋愛沙汰をことさらドラマチックに描くことはしません。先生が彼女をどう思っていたのかなんてところも、バッサリと切り捨てて、先生を想うヒロインの姿をひたすら追い続けます。自由恋愛が珍しい時代ですが、村の人々の反応も一切描かれません。そして、ヒロインの想いだけが描かれることによって、一種のファンタジーのような味わいが出ました。そして、誰の心の中にもある、恋心の記憶をくすぐる作りになっているのです。そう考えると「初恋のきた道」というのは、なかなかいいところを突いた邦題と申せましょう。中国語の原題「我的父親母親」より、いけてるような気がします。
映像はシネスコの横長画面をきっちりと意識して組みたてられていまして、横長の構図が村の街道のシーンなどにきっちりはまりました。また、サン・パオによる音楽が時代の流れを描写する骨太な音と、ヒロインの想いを描写するせつない音を合わせて、見事な音作りをしています。泣かせるシーンの多い映画なのですが、結局は音楽に涙を押し出されてしまっていることに気付かされます。
映画は回想シーンの後、またモノクロの現代に戻るのですが、そこでドラマは終わりません。どうしても、遺体を担いで村へ帰りたい(昔からのしきたりなのだそうです)母親に、ルオは仕方なく、大枚はたいて人足を雇って、母の願いをかなえようとするのですが、そこでまた意外で泣かせる展開が二重に仕掛けられていまして、私は劇場が明るくなっても涙目のままになってしまいました。象徴的にしか登場しない、ルオの父親がドラマを最後に締めることになるのですが、そのあたりは劇場でご確認下さい。チャン・イーモウ監督が、「あの子をさがして」に続いて学校を舞台にした題材を映画化している点に注目したいです。この映画の作者たちは、誰かが誰かを想っていること、誰かが誰かを憶えていること、その心の絆に、大きな希望を持っているように思えます。そして、教育というものが、コミュニティの中から生まれてくるものだという視点は、今の日本で見直したいところです。こういう映画を若い人が観るといいなあと思うのですが、どっかの国会議員が騒いでくれないかしら。
お薦め度 | ×△○◎ | もうボロボロに泣かされましてね。 |
採点 | ★★★★☆ (9/10) | 教育への希望の見せ方がうまい、R指定にして中高生を呼ぼう。 |
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