written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
ニューヨークの真夜中のクラブ、DJとダンサーの対決ショーで全戦全焼なのがインティア(ミア・フライア)です。どんなテンポでも体全体をその音楽に乗せて踊る姿のかっこいいこと。でも彼女は言葉が話せません。聞こえるのですが話せない。そんな彼女ですから、ダンスの腕前がいくら超一流であってもミュージカルのオーディションでは合格できません。そんな彼女のダンスを見た音響工学の科学者アイザック(ロドニー・イーストマン)は何かひらめいたようです。アイザックの実験協力の依頼に渋るマネージャの兄に対して、インティアはやってみたいと言い出すのですが、それって何しようってえの?
「Taxi」と同様リュック・ベンソン提供と出るこの映画、フランスのスタッフがニューヨークで撮影した全編英語の映画です。監督のフレッド・ギャルソンはベンソンなどの劇場映画の助監督出身だそうですが、全編に音楽を鳴らして、そこに映像を埋めこんでいくという作り方をしていまして、まるでミュージックビデオ、あるいは主演のミア・フライアのプロモーションビデオのような作りになっています。ラップやファンク、ロックさらにはジャズのノリのよい音に、移動ショット、細かいカット割りなど、気分よく見ていられるのは、その呼吸のよさからです。
ヒロインのダンスは、もう音楽に完全に体がシンクロしていくというもので、様々なジャンルのダンスの要素が入っていて、新体操みたいのや手話も盛りこまれていて、舞踊の知識のない私ではも、なるほど見事だと感心してしまいます。ギャルソン演出と、ティエリー・アルボガストの撮影はその彼女の動きをていねいに追っていきます。表情豊かに踊りまくるヒロインを見ていると、この映画のまず見せたいものはこれなんだねと、納得していしまいますもの。
とはいえ、劇場映画としては、そこにドラマがついてまわるのですが、これが話せないけど聞こえるヒロイン、それに付いてまわるマネージャーの兄貴の葛藤というのがメインとなります。話せないという障害は彼女のダンスを含めたボディランゲージを豊かにし、ヒロインとしての奥行きを作っています。聾唖学校での子供たちを前にしたレッスン風景や、ストリートダンスのシーンなど、彼女のハンディの部分が逆に彼女を光らせているのが印象的でした。一方のサブプロットの彼女の兄のエピソードは古臭い人情話という感じで、人のためといいながら、結局自己中心的でなかった兄が、最後には本当に妹のためを思うようになるというもので、まあずっとノリノリのダンスだけでは、メリハリを欠きますから、こういうドラマ部分もあっていいかなって程度のものになっています。
それよりもノリだけで走ってるなあって思ったのは、科学者アイザックが何の研究をしているのかがよくわからないというところ、ネタばれ覚悟で言ってしまうと、彼女を使っての実験というのが、人間の動きを音楽に変えようという物。その昔の電子楽器の走りテレミンなんてのも人間の動きを音に変えていましたから、そのコンセプトはそれほど新しいものではないのですが、それがアイザックの研究にどう関係しているのかが、最後までよくわかりませんでした。まあ、ドラマの本筋とは関係ないですから、どうでもいいと言えば、どうでもいいのですが、このあたりの演出も一本の劇映画としては、まとまりが悪いように思えてしまいました。
とはいえ、これまで、流れてくる音に合わせて踊ってきたインティアにとっては、自分が作れない音が主で、動きが従だったのです。それが、動きを音に変える仕掛けで、動きが主で、そこから音が表現されるようになるというラストはなかなかに感動的ではあるのですが、ここもノリだけで走った部分があって、もっと盛り上げてもいいんじゃないのって気がしました。ノリの良さは十分で、テンポ、音楽、編集のうまさは買いですが、その分、ドラマとしての潤いの部分が薄くなってしまったという印象です。でも、1時間半楽しむ娯楽映画として、見せたい部分だけに絞りこんで、そこを心地よく見せようというのは映画の作り方としてはありだな、と思わせる内容にはなっています。
お薦め度 | ×△○◎ | 全編がミュージックビデオを観るノリ、お気楽にどうぞ。 |
採点 | ★★★ (6/10) | 視覚的仕掛け以上のドラマを期待したのですが。 |
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