written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
心理学者キャサリン(ジェニファー・ロペス)は、分裂症の少年の脳の中に入りこむ療法の研究中です。少年の脳の中に彼女の意識が入りこむことは可能なのですが、病気の治療には至っていません。そんなある日、女性連続殺人鬼スターガー(ビンセント・ドノフリオ)が彼女の元に運び込まれてきます。スターガーは病気でもう一生目覚めないかもしれない昏睡状態ですが、一方、女性を誘拐して、時限装置つきのある場所に監禁していたのです。スターガーから彼女の居場所を聞き出さないと、あと数時間で女性の命が自動的に奪われてしまうのです。最後の手段として、スターガーの脳に入りこみ、そこで女性の監禁場所を聞き出そうというわけですが、それは非常に危険な賭けでもありました。かくしてキャサリンと昏睡状態のスターガーの脳がつながれ、彼女は連続殺人鬼の脳の中に入りこんでいくのですが...。
他人の夢の話を聞かされるってのは結構苦痛なものです。夢の世界は、あまりにも脈絡がなくて理不尽だから、物語として成立しないのです。でも、見た本人にとってはそれなりに意味がありそうですし、面白いらしいのですが、聞かされる方はたまったものではありません。しかし、心理学者が夢を分析するというのはそれなりに意味のあることのようでして、この映画でも脳の中に入ることは、その人の夢の世界に入りこむのと同じことらしいのです。常人には、想像できない予測不可能な他人の夢の世界に入っていくなんて、あまりにも無謀だと思えるのですが、この映画のヒロインは大胆にも、連続女性殺人鬼の夢の世界に入り込もうとするのです。狂人の脳、狂人の作り上げた夢の世界なんて、何があるのかわかったものではないのに、ヒロインは果敢にも女性の命を救うために、殺人鬼の脳の中に旅立つのです。
それだけなら、単なる悪夢の地獄巡りみたいな話になってしまうのですが、このキャサリンは、女性の命を救うとともに、このスターガーという連続殺人鬼の心も救おうとするあたりで、一種宗教的な趣のお話になっていきます。このスターガーのやることは、全て猟奇変態趣味で、殺し方、その死体の処理、死体で何をするのか、もうちょっと書けませんという世界なんですが、その許しがたい行為へ走るには、彼なりのトラウマがあったのです。彼の夢の世界で、彼の少年時代を垣間見たキャサリンは何とかして、スターガーの魂を救いたいと思うようになります。その結果は、本編でご確認頂きたいのですが、ラストでもたらされる、ある種の安らぎ、癒しのようなものは、憑き物落しのような趣があり、キャサリンが一種の霊能力者の悪魔祓い師のようにも見えてくるのです。現代人は皆多かれ少なかれ心を病んでいます。その病んだ心を受け止め、癒すという物語展開には興味深いものあります。また、悪魔のような殺人鬼を、悪魔に取り付かれた人間と考え、彼の脳に入りこんで、その悪魔と闘うと考えると、実は「エクソシスト2」の21世紀バージョンだということもできます。また、殺人鬼の脳、あるいはキャサリンの脳の中で、実体のない闘いが演じられ、その結果、彼女が目覚めることができなくなるという設定は、RPGに取り込まれてしまう「アヴァロン」とも通じるものがあります。
夢の世界に入っていくと言っても、実際に画面に展開する夢の世界の景色はかなり気色悪いです。殺された被害者の死体をからくり人形のようなオブジェにして見せたり、中世の拷問具が出て来たり、さらに父親によって虐待されるスターガー少年の姿は痛ましいものがあります。そして、ジェニファーが夢と現実の区別がつかなくなると、入りこんだ先の脳の中に閉じ込められてしまうのです。ジェニファーが他人の夢の中に取りこまれてしまうことがあるとすれば、その逆に取り込めるかもしれません、と、ラストで彼女は大きな賭けに出ることになります。こうなると、脳の世界は単なる神経の電気信号の世界ではなく、別の何物かの存在を意識せざるを得ません。それは精神と呼べるものかもしれませんし、霊なのかもしれませんし、それこそ魂なのかも。ともあれ、意識と主体を持った何物かは、ヒロインや殺人鬼の脳の中をウロウロしているらしいのです。このあたりは、ターセムの演出は理詰めで積み上げることをせず、視覚のインパクトでドラマを引っ張っていきます。
夢かうつつか幻かという言葉はこの映画にはあてはまりません。夢であれ、それを現実と認識した時点で、当の本人にとっては現実になってしまうのです。これは、夢と現実がごっちゃになるという設定の「オープン・ユア・アイズ」「トータル・リコール」「うる星やつらビューティフル・ドリーマー」といった映画をさらに明確に定義つけていると言えます。そして、その夢の中で、邪悪な魂が救済されるという展開は、「エクソシスト」などのオカルト映画全般、さらに「フラットライナーズ」のような臨死体験を扱った映画などに対する一解釈と言うこともできましょう。また、相手の脳に入り込んで、夢と現実の区別を見失って迷子になってしまうというのは、憑依現象や、成仏できない霊の説明として面白いものがあります。そういう意味では、大変示唆に富む内容の映画ではあるのですが、視覚効果優先の作りになった分、せっかくの面白い題材への突っ込みは今一つという印象になったのが惜しまれます。
ジェニファー・ロペスは夢の中でのレザーファッションがよく似合うという意外は彼女ならではという部分は感じませんでした。フェロモンがありすぎて、後半で彼女が、魂を救済する聖母のイメージとダブるという展開がしっくりと来ないのですよ。また、殺人犯役のビンセント・ドノフリオは、「メン・イン・ブラック」同様、特殊なメイク、衣装で大変そうでしたけど、憎むべき殺人犯と救われるべき魂の両方を見事に演じきりました。いよいよ、この人も名優の域に近づきつつあるようです。また、「セブン」のハワード・ショアが、ロンドン・フィルハーモニックにチベット民族音楽ジャジューカを加えて、神秘的なそして暴力的な現代音楽を聞かせてくれます。
お薦め度 | ×△○◎ | 視覚的には面白い、21世紀のエクソシストか。 |
採点 | ★★★☆ (7/10) | でも、他人の夢に入るっていい度胸過ぎない? |
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