英雄の条件
Rules of Engagement


2000年08月27日 神奈川 横浜オスカー1 にて
戦争をするからには、それなりの覚悟が必要ですね。


written by ジャックナイフ
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イエメンのアメリカ大使館に対する市民デモは過激さを増し、ついにチルダース大佐(サミュエル・L・ジャクソン)率いる海兵隊が、大使救出も含めた事態の収拾に派遣されます。大使館は群衆に包囲され、あちこちから銃撃もされています。チルダースは大使を救出した後、群衆に対する発砲を命じます。その結果市民83人が死亡し、アメリカは窮地に立たされ、そして、チルダースは軍法会議にかけられてしまいます。チルダースはかつての戦友で、命を助けたこともあるホッジス大佐(トミー・リー・ジョーンズ)に弁護を依頼します。退役寸前の何かしょぼくれた感じのホッジスに、この勝ち目のなさそうな裁判の弁護が務まるのでしょうか。

「エクソシスト」のウィリアム・フリードキン監督が久々に手がけた劇場用作品です。戦争ものであり、裁判ものであるのですが、展開がなかなかに一筋縄ではいかない作品に仕上がっています。オープニングはベトナム戦争で、敵に包囲されたホッジスの小隊を救うため、無抵抗の捕虜を脅迫のために射殺するチルダースのエピソードで、これがなかなかに怖いのですが、フリードキンはここでのチルダースの行動をヒロイックに描写します。そして、30年後のイエメンのアメリカ大使館へ物語は移ります。デモ隊はどんどん過激化し、大使館へは投石、火炎瓶、さらには銃弾まで飛んできています。そこで、チルダース率いるヘリ部隊が到着するのですが、彼らの中にも犠牲者が出るに及んで、ついにチルダースは、老人、女子供もいるデモ隊に向けて一斉射撃を命じます。そこには累々たる死体の山と負傷者の嘆きが残され、その写真が世界中に報道され、アメリカは外交的に窮地に立たされます。アメリカ海兵隊としても、チルダースを軍事裁判にかけざるを得なくなります。

その裁判は、チルダースのイエメンでとった行動を、殺人かどうかを問うものとなります。果たして彼のとった行動は、正当なものと言えるのかどうかが争点となります。物語はなぜチルダースがデモ隊に向って威嚇射撃もすることなく、犠牲者が出ることを承知で発砲命令を出した理由をミステリーとして展開していきます。どう見てもチルダースのとった行動に分はないように思えます。非武装の女子供に銃を向けるなんて人でなしだと、チルダースは世界中を敵に回したようなものです。そんな彼をホッジスが弁護するのはかつてベトナムで命を助けられたからという恩に報いるものだというところがリアルです。

ホッジスは自らイエメンへ赴いて、新たな証拠を探そうとします。しかし、そこでホッジスが見たものは、路地を囲っただけの病院で死を待つばかりの負傷者たちでした。おー、こういうところまで見せるか、これじゃアメリカにもチルダースにも分がないじゃないかと思ったのですが、ラストでこの悲惨さもひっくり返す仕掛けがあって余計目に驚かされることになります。

この映画の興味深いところは、あくまでアメリカ海兵隊のチルダースの視点からドラマが描かれていること、彼の目から見た正義や真実というものでドラマは引っ張られていきます。言いかえると、なぜイエメンで反アメリカのデモが起こり、さらに過激化していったかという理由には触れられません。また、イエメン政府の対応についても描かれません。そういう国際政治的な暗部からあえて目をそらして、それよりも、チルダースに大使救出を命じておいて、そこでの彼の行動を糾弾するアメリカ政府、そして、命の恩人を裏切る大使(少ない出番ながら、ベン・キングスレー巧いです。)といった連中にドラマのスポットはあてられています。ウィリアム・フリードキンの演出は、この事件を大局的に描くことをしないで、チルダースの行動の正当性をチルダースの視点から描こうとします。従って、その描き方はフェアとは言いがたいものがありますし、戦闘で死んだ者に対しては敵も味方も含めて「仕方ない」というあきらめが感じられます。

だから、女子供のいる群衆に銃を向けてよいということにはならないですし、一方、自分や自分の部下を守るためにとった行動を、行きすぎとして切り捨てるのも人道に反すると言えましょう。戦争という状況においては、必ずしも誰もが認める正義がなされるとは限らない、その「正義の限界」を示した映画だとも申せましょう。特に非戦闘員であるはずの女子供に銃を向けられた人間はどういう行動を取るべきなのか、また、取れるのかは、かなり難しい問題です。ルールある戦闘のもとでは、一般人と戦闘員は明確に判別できなければいけないのですが、そのルールを適用しない、あるいはできない連中を相手にしたときどういう対応をとればよいのか、それはもはや戦闘行為ではなく、殺人か正当防衛かのレベルになってしまうというところにこの映画の怖さがあります。

トミー・リー・ジョーンズは今回はかなりショボクレた男として登場し、最後まであんまり颯爽としたところがないのが面白いキャラクターになっていました。彼があまりアメリカの正義、海兵隊の正義を背負っているように見えないところはこの映画の救いになっているような気がしました。マーク・アイシャムの音楽はこの映画の重さよりも、勇猛果敢なチルダースを賞賛するような音をつけているのがちょっと意外でした。しかし、もともとフリードキン監督がテンプトラック(こんな音楽をつけてくれと作曲者に指示する既成の音楽)として彼の音楽を指定し、それをそのまま使ったということですから、チルダースを英雄化するのは最初からフリードキンの意図だったということになり、アメリカ人でない私には「ふーん、そうなのー?」とちょっと腰が引けてしまうのでした。


お薦め度×正義や倫理では解決できない殺し合いの世界。
採点★★★☆
(7/10)
嘘も不正もゴッタ煮にしたあたりに奥行きが出ました。

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