レッド・プラネット
Red Planet


2000年01月13日 神奈川 ワーナーマイカルみなとみらいシネマ8 にて
一言で言えば「火星探検」、以上。


written by ジャックナイフ
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時は2057年、汚染された地球で人類の生存の見込みは薄く、火星に藻を発生させ、酸素を作ろうという大プロジェクトが進行していたのです。ところが、その無人基地からの応答が途絶え、初の有人調査船が火星に向うこととなりました。ボーマン船長(キャリー・アン・モス)率いるギャラガー(ヴァル・キルマー)ら総勢6名の乗組員は半年かけて火星にたどりつきました。しかし、太陽フレアの影響で宇宙船は破損し、着陸機はやっとのことで火星に不時着します。すると、そこにある筈の藻は見当たらず、基地も何者かによって破壊されていました。これでは、酸素の補給もままならず調査隊は数分後の死と直面することになるのですが。

宇宙を舞台にしたSF映画というのにも色々ありまして、その中に、探検モノと申しましょうか、秘境探検モノの設定を宇宙に持ち込んだようなものがありまして、1950年〜60年代の宇宙開発時代には、夢と冒険を描いた作品が結構作られていたようです。1970年代に入り、SF映画は暗い未来を描くペシミスティックなものが多くなり、「スター・ウォーズ」以降は、神話やおとぎの国をそのまま宇宙へ持って行ったような映画がたくさん作られています。その一方では、昔から変わらず、宇宙からの侵略者という設定のSF映画も多数作られ続けています。そして、20世紀も終わりにさしかかって、昨年は「ミッション・トゥ・マーズ」というかなりケッタイなSF映画が作られました。そして、これまた火星を舞台にした、かつ火星へミッションを持った連中が行くという設定の映画が作られたのですから、また「2001年宇宙の旅」モドキの哲学ネタをぶつのではというイヤな予感はありました。

ところが、これがストレートな火星探検モノになっていたのです。確かにリアリティという点からいけば、昔の宇宙モノに比べて格段の進歩になっているのですが、お話としては、「火星に何かあるらしい」と「果たして乗組員は無事に地球に帰れるのか」という2点に集約されてしまうのです。その昔のSF「巨大アメーバの惑星」のような話ではあるのですが、逆にリアリティの部分が足を引っ張ってしまい、センス・オブ・ワンダーの部分のアソビがあまり感じられない映画になってしまいました。じゃあ、その代わりに何を見せてくれるのかというと、サブプロットとして乗組員が壊れてしまった探査用ロボットによって命を狙われるという展開もありますが、それはあくまでクライマックスのお膳立てのための伏線に過ぎないのも、話をこじんまりとさせてしまった要因のように感じました。

脚本にはサービス精神が足りないような印象があるのですが、アントニー・ホフマンの演出は手堅く、観ている間は退屈しないだけの映画に仕上げています。とはいえ、最初にちょっとだけ語られる神の存在とか、地球の大気汚染の話が、後半の展開に絡んでこないのは不満です。色々とネタを前半で振った割には刈り取れなかったという印象なのです。この映画、色々なキーワードが登場するのですが、「地球汚染」「火星進出」「神の存在」「科学と哲学」「自己犠牲」といった言葉が、出てきてそのまんま、何の結論も出ないのです。メインのドラマが「火星探検」(正確には「火星遭難」ということになるのですが)にあまりに忠実でありすぎたのかという気がします。

その分、「火星探検」に絞り込んだ部分は、視覚効果も含めてよくできていまして、基地破壊の謎も、一応の説明がつきますし、火星軌道を回る宇宙船の絵もなかなかきれいで見応えはあります。でも、ドラマに華がないんだよなあ。キャリー・アン・モスとヴァル・キルマーの間に恋愛感情らしきものも、それがドラマの中心になるわけではありませんし、ドラマの進む方向、どうなったらハッピーエンドなのかがなかなか見えないのがつらいところです。ともあれ、火星探検の絵をシネスコの大画面とデジタルサウンドで楽しむための映画ですから、ビデオで観る映画ではありません。多分、ビデオで観ると、主演二人のファン以外は退屈するのではないかな。でも、キャリー・アン・モスのスタイルの良さが殺風景な宇宙船の中で、かなりカッコよかったです。


お薦め度×昔のSFを観るつもりでどうぞ。
採点★★★☆
(7/10)
きちんと要所を押さえてまとまりはあります。

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