written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
トレバー少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、社会科の授業で、シモネット先生(ケビン・スペイシー)から、「世界を変えるたまに何をするか」という課題を出されます。そこで彼が考えたのが、「先に贈る(ペイ・フォワード)」ということ。3人の他人に何か特別なよいことをしてあげる、された人も3人の他人に何かよいことをしてあげる、そうしていけが、よい事は世界中に広まっていくというもの。まず、トレバーのしたことは、ホームレスの若者を家に招き、食事とお金を与えることでした。そして、自分のママ(ヘレン・ハント)とシモネット先生との仲をとりもとうとするのですが.....。
感動の話題作という宣伝文句は話半分に聞いてました。あの「シックス・センス」のハーレイ君というのが、個人的に好きになれないタイプの子供、まあ、大体子供全般が嫌いな私には、どうかなーと思う映画なのでした。実際に観てみると、ウソとホントの綱渡りのような設定をうまい距離感を保ちながらまとめたという印象でした。「ディープ・インパクト」で、世界滅亡の物語をホームドラマのレベルにまで落して感動させた実績のあるミミ・レダー監督らしい映画になっていました。
登場人物は、みんなどこかにキズのある人たちでして、シモネット先生は顔から体に火傷の痕のあるいわくありげな教師です。トレバーも母子家庭でその父親には問題ありげです。母親は夜も昼も働いているのですが、アルコール依存症からなかなか抜け出すことができません。トレバーは「先に贈る」を自分から始めようと行動を起こすのですが、なかなか思うように行きません。だって、理屈をわかっても、それって実践するのは大変です。自分が誰かに恩を受けたとき、それを他の3人に贈るという発想、「恩返し」ではなく「恩送り」なんて、できそうでできる話じゃないです。
でも、この物語では、そこをうまくさばいて、他の誰かに続くように見せています。恩を受ける時は、かなりヘビーな恩で、その時にルールが知らされます。「恩は返す必要はなく、先の人に贈れ。」というわけです。それを受けた人が実際にそれを引き継いでいくことも、この映画では描かれます。なぜ、そんなことをする気になるのかというところですが、この映画では、身に過ぎる恩恵を受けたときに、「先に贈る」というルールを聞くと、それに従ってしまうらしいのです。この「身に過ぎる」「分不相応な」恩というところがミソでして、これは普通の生活の中ではまずお目にかかれません。毎日の生活は小さな善意の積み重ねの中で成り立っていると言っていいと思うのですが、そこには「先に贈る」ことを納得させるほどの「大きな恩」に巡り合うことはまずありません。でも、この映画ではその「大きな恩」の輪が広がっていくのですから、そこに現代のおとぎ話、ファンタジーの趣があります。
実際には、ささやかな善意に囲まれながら、それに不感症になっているのが、私達の生活ではないでしょうか。時として、大きな善意、大きな恩に出くわした時も、その恩をどうしていいのかわからなくなってしまっているような気がします。そんな、特別な恩を受けたときに「先に贈る」というルールはいいですね。時と場所、そして相手すらも制約しないのですから、妙なプレッシャーになることもありません。本当なら、恩がなくても、困っている人のために何かしてあげられたら素晴らしいことなんですが、そこまでに至らない(私みたいな)凡人にとっては、いい事をする、うまい言い訳のように思えます。
物語の基本はファンタジーとはいえ、登場人物の設定、その不幸度はかなりなものです。「世の中はみんなクソだ」という主人公の言葉が説得力を持って聞こえてきますもの。でも、それが社会全体がクソなのかというと、映画はそういう描き方をしていません。シモネット先生と母親とのラブストーリーは絵に描いたように展開していきますし、全てがまるく収まるのではないかという期待を持たせるのです。しかし、ラストはハッピーエンドにはなりません。結末のつけ方にはかなり苦心した跡がうかがえまして、この結末に不満を感じる方もいるのではないかと思うのですが、私としては、この結末しかないような気がします。ファンタジーとしておとぎ話として、この物語を完結させるためには、このお話を伝説化する必要があります。そうでないと、底抜けのノー天気なお話になってしまいますもの。ちょっとネタばれ覚悟で書いてしまいますと、このまま世界中に「先に贈る」ことが広がっていくという結末だったら、おとぎ話としての説得力も持てないお話になってしまったでしょう。現実は、それほどは甘くはないけど、でも希望もないわけじゃない、そのさじ加減を踏まえた結末になっていると思いました。確かに、「世界を変える」というお話にしては、こじんまりとして印象なんですが、あえて、一つのファミリーの物語として完結させたというところに、作者たちの節度を感じます。
役者はそれぞれに好演でしたけど、個人的にオスメント君が苦手な私には、むしろ母親役のヘレン・ハントの好演が印象的でした。ケビン・スペイシーは、いつもよりも演技臭さを抑えた、影の薄さが逆に好印象を与える演技になっています。トマス・ニューマンの音楽が、「アメリカン・ビューティ」同様、映画に寓話的な味わいを与えています。
お薦め度 | ×△○◎ | リアリティを置いとけばファンタジーとしてOK |
採点 | ★★★☆ (7/10) | 話を膨らまさず、小品としてまとめたセンスを買います。 |
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