written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
ニコラ(クレモン・ヴァン・デン・ベルグ)は、学校のスキー教室に父親の車で行くことになります。だって、みんなと一緒にバスで行くことを父親が拒否したから。おまけにその父親は彼を送ってきて荷物をおろすのを忘れてそのまま帰ってしまいます。ニコラはおなじ教室の問題児オドゥカンにパジャマを借りてなんとか、その日をすませます。彼が思い出すのは、父親が話していた子供の臓器売買の話、そして夢の中では謎の男たちに殺される父親。ニコラには何か情緒不安な影が見えます。そんな彼をスキー教室の先生たちは何くれとなく気にかけてくれるのですが、実はニコラにはある秘密があったのです。
観る前は、どういう映画なのかほとんど予備知識がなくて、少年のみる夢が現実となるなんていう、情報雑誌の記事を鵜呑みにしていたのですが、本編を観てみれば、これは、現実に翻弄される思春期の少年の心の動きを描いた、心象風景的な一編となっています。特に後半登場する幻想的な映像は、夢と現実のはざまをさまよう少年の心をそのまま投影しているような印象をうけました。
このニコラという少年は、いわゆる内向的で、おとなしいタイプ。父親が独裁的でかなり変わり者なのですが、そのせいかどこかオドオドしたところがあります。彼と仲良くなるオドゥカンは、それと正反対に活発で皮肉屋で、大人にも平気で反抗するタイプです。オドゥカンにニコラは、自分の父親は、義手義足のセールスマンであることを教えます。段々と仲良くなってくると、それ以上の秘密をオドゥカンに打ち明けるようになります。父親は実は、臓器販売組織を追っていると。でも、それはウソです。少なくとも、観客には、その話がニコラが自分の聞いた話を勝手につなげたデッチあげだということが容易にわかるのですが、なぜそんなウソをついたのかが判然としません。思春期の少年は不安定だからウソをつくこともある? どうやら、それだけではなさそうなんです。
スキー教室の近所で行方不明になっていた少年が死体となって発見されます。そのおかげで、何だかシュンとなってしまうスキー教室の子供たち。ニコラはそれを臓器販売組織の仕業だとオドゥカンに説明します。自分ではウソだとわかっているのに、そうせざるを得ない少年の気持ちはわかるようなわからないような、でも誰かに語ることで、ニコラの中ではそれは真実となっていくようです。子供は時に想像の世界に遊び、ありもしないものを見たとか聞いたとか言い出すことがあります。確かに空想と現実の境界線なんて結構曖昧なものです。そんな空想の世界にニコラをつかまえているものは何なのか。この映画は、そのニコラの内面の部分まできちんと説明はしてくれません。ただ、ニコラをとりまく事実のみを示すだけです。ただ、その事実が尋常でないものがありまして、それは劇場でご確認下さい。その事実から、ニコラが空想の世界に生きてしまう理由、そして彼の望むものが何なのかということが見えてくるというお話ですが、このあたりは色々な解釈ができると思います。例えば、ニコラの望むものが何かという部分ですが、あとでプログラムで、監督の意図したところを読んで、私の解釈とは違っていたということを知りました。
何か、謎解きのミステリーのつもりで見始めると、この映画の本筋を見失うことになりそうです。(私は前半ミステリーのつもりで観てしまいました。)これはニコラという感性の鋭い少年が心に描いたイメージから、その心の動きを追っていく映画のようなのです。でも、その心の中は映画では雄弁に語られることがないため、文字とおり感じるしかないのです。ですから、観る人によって、この映画の感想は大きく違ってくると思います。空想癖のある男の子と観るか、愛情に飢えた男の子と観るか、あるいは、普段大事にされなくて時々自己中心的になる男の子、歪んだ父親の愛情のおかげで情緒不安定な男の子、などなど、人それぞれの解釈ができる映画です。そして、そのイメージは、自分の少年期を投影しているのかもしれません。
お薦め度 | ×△○◎ | 多感な少年ニコラにとっての真実とは? |
採点 | ★★★ (6/10) | 子供に嘘と本当の区別はつかない。 |
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