蝶の舌
LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS


2001年08月11日 神奈川 関内アカデミー1 にて
スペイン内戦を背景にしたある少年の物語 。


written by ジャックナイフ
E-mail:njacknife@aol.com


1930年代のスペイン、喘息持ちのモンチョ(マヌエル・ロサノ)もいよいよ学校に行く年になりました。先生は怖いという先入観があったのですが、担任の老教師ドン(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)はおだやかでやさしい人で、モンチョも楽しく学校に通えるようになりました。先生はモンチョに様々なことを教え、自由の空気をモンチョは実感することになります。一方、国内は右翼と左翼の間での政権抗争がいよいよ深刻さを増してきていました。総選挙では共和派が勝利したものの、軍部が反乱を起こし、それまで、共和派に加担していた人々がアカのアナーキストとして逮捕されていきます。スペイン内戦は今始まろうとしていたのでした。

子供の頃、初めて、学校へ行くというのは何となくコワイという気持ちがありました。この映画の主人公モンチョも先生にぶたれるという先入観もあって学校へ行くのがビクビクもの。でも、行ってみたら、ドン先生はやさしくて子供の気持ちをよく理解してくれる人だったので一安心。でも、この先生のやり方は革新的で、保守的な大人たちからは疎んじられているところもありました。村の中は共和派と保守派に分かれていて、モンチョのお父さんは共和派で、ドン先生を同士のように思っているようです。でも、そういう大人の思惑はモンチョには関係ありません。学校で新しいことを学ぶのが楽しくて仕方がないのですから。

この映画は、モンチョと先生の間に築かれる信頼のドラマと、大人たちの右派と左派の対立のドラマがまるで別の空間として描かれていきます。またサブエピソードとして挿入される、モンチョと兄と中国女性との切ない出会いと別れも、一つの独立したドラマとなっているのです。ホセ・ルイス・クエルダの演出は、全体を淡々としたエピソードでつないでいくのですが、そこに垣間見られる人間ドラマのホロ苦い味わいが、ラストで一気に悲劇に展開していくあたりが大変見応えのあるドラマになりました。

「蝶の舌」は文字通り、蝶の口先の渦巻き状のストロー部分を指します。先生はこれを授業で語り、そして実際に野原で蝶をつかまえてモンチョに説明してくれます。他にも色々なことをモンチョは先生から学びます。それは単なる知識ではなく、世界の捉え方であり、自由への道標でもありました。老教師を演じるフェルナンド・フェルナン・ゴメスが穏やかな外見に秘めた強い意志を力演していて、ラストシーンでの変わりようまで、理想的でありながら、リアルなキャラクターを熱演しています。

ラストは、共和派の人々が、反乱を起こした軍部によって村から連れ出されるシーンとなり、それまでのドラマの登場してきた人たちが引っ立てられて行き、彼らは村人たちから「アカ、アナーキスト、人殺し」とののしられることになります。それまで、友人や知人であった人を罵倒する連中を描くドラマは今までにも見たことがあるのですが、その時、罵倒する連中の想いをきちんと描かれているのは珍しいのではないかしら。無知でもなければ、悪辣でもない村人が、昨日まで友人だった連中に罵声を浴びせ石をぶつけるシーンの痛みがわからないと、日本人も本当に大東亜戦争を反省したことにはならないように思います。モンチョがそこでどういう行動を取るかというところがクライマックスでして、ある意味、衝撃的なラストショットでありながら、そこに希望のともしびも汲み取ることができるという、かなり観る人によって評価の分かれるエンディングに思います。私にとってのこの映画のラストは、子供は過酷な状況の中でも、無垢な存在であり得る、そこに未来への希望があるということだと読みました。ここは是非、それぞれの目で観て感じて欲しいところだと思う次第です。

「オープン・ユア・アイズ」の監督でもあるアレハンドロ・アメナバルの音楽はシティ・オブ・プラハ・フィルハーモニックを使って、素朴な中にこの時代の重苦しい空気を見事に表現しています。オープニングのタイトル曲がやけに重々しいなあというのが、ラストへ向けての伏線になっていたようです。また、ハビエル・サルモネスの撮影が素晴らしく、自然の風景や室内シーンなど、シネスコの横長画面を使って、最高の構図を切りとっています。こんなに心地よく観ることができたシネスコ画面は珍しく、この絵を見るためにも劇場に足を運ぶことをお薦めします。


お薦め度×ラストでドキっとさせてそして感動。
採点★★★☆
(7/10)
淡々とした展開の中に垣間見える人間模様がちょっと悲しい

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