written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
病院の屋上のベンチに老夫婦がいます。二人が出会ったのは、大東亜戦争も末期の昭和20年3月のことでした。鹿児島の片田舎で兄夫婦と一緒に住む悦子(原田知世)に縁談が持ち上がります。兄の後輩の明石少尉の紹介で、整備班の長与少尉(永瀬正敏)と見合いをすることになります。労働動員で兄夫婦が不在のまま、悦子は、長与と明石を迎えます。何だかぎこちないやりとりがあって、お見合いは無事に終了。でも、実は悦子は明石に想いを寄せていたのでした。
黒木和雄監督の遺作だそうですが、そもそも黒木監督の映画を観たことないですし、今回は原田知世がきれいだというにに惹かれて映画館に足を運びました。また、昨年から「蟻の兵隊」「硫黄島からの手紙」など大東亜戦争を扱った映画を観てきたこともあり、これも戦争を扱っているところが興味を引きました。
もともとは舞台劇ということだそうで、映画もその構成を踏襲しているようです。冒頭は病院の屋上のベンチに座る老夫婦の会話を長回しで延々と見せます。そして、「こんなことありましたよねえ」という話から、映画の舞台は、昭和21年3月の鹿児島へと移ります。兄夫婦(小林薫と本庄まなみ)の夕食シーンから始まるのですが、映画は日常会話の積み重ねで展開していきます。つましいけど、楽しく3人が暮らしているさまが丁寧に描かれていて、兄夫婦のやりとりのおかしさは、最近のホームドラマでもお目にかかれないようなおだやかなものです。そして、悦子への縁談の話が紹介されます。悦子はよく家に来る明石少尉にひかれているようなのですが、それは兄嫁の口から語られるのみで、悦子はそんな素振りも見せません。そして、お見合いの当日となるのですが、ここでは、長与と明石のコミカルなやり取りがかなり笑えます。堅物で融通の利かない長与と、おっとりした悦子の会話もおかしくて微笑ましいものがあります。
そんな穏やかな会話の中に、当時の人々の生活感、戦争の落とす陰がちゃんと含まれています。戦争、若しくは戦争反対を声高に語ろうとするのではなく、この時代の人々の姿を丁寧に描き残そうとしているような映画なんですが、そこから、普通の戦争映画では描き出し得ない戦争のありようが浮かび上がってきます。今に比べて、生と死が紙一重の状況にある人々ですが、つましくもどこかのどかな暮らしを描いていて、戦争のもう一つのリアリティが見えてくるのです。主人公は東京大空襲で両親を失ったばかりであり、沖縄はアメリカ軍におち、航空隊の明石少尉は勝ち目のない出撃に志願しているのです。でも、日々の生活の中で、「あー、このお茶おいしいわー」とか「駅長の話は長いから」なんて会話が交わされています。
この映画でもっともドラマチックなシーンは、兄夫婦のもとを明石大尉を訪れて、出撃前の別れを告げるシーンです。お互いに惹かれあう明石と悦子ではあるのですが、その想いを直接言葉にすることはできません。明石にとっては悦子を長与に託すことが精一杯の愛情表現であり、悦子は明石を笑顔で見送った後、彼女は泣きくずれることしかできません。そして、長与もまた、後日、明石の遺志を受けて悦子を幸せにすると伝えるのです。見せ方としては淡々と茶の間で語られる日常会話の延長なのですが、最近、観た映画に登場した人物の中で、明石と長与が最高に男らしいと思えました。男らしさ、女らしさということをあまり言いたくないのですが、この映画の軍人二人は「男らしい」という言葉がふさわしい二人でした。笑えるシーンであっても、戦闘シーンとか極限状態を描かなくても、男らしさってのは伝わるんだなあって、妙に感心してしまいました。
この映画に出てくる人々は皆控えめでつつましい生き方を良しとしています。戦争を舞台にした映画って、登場人物は、イケイケどんどんのベタ右翼か、やたら反戦を口にするマルクス史観の皆さんといった両極端が多くて、リアリティを感じさせないことが多いです。でも、普通に暮らしている人は、その真ん中あたりにいるのがほとんどだと思っています。この映画では、その中庸にいる人々を細やかに描くとともに、今、日本から失われつつある心を書き留めておこうという意図が感じられました。戦争というものが、その一部だけを拡大した歪んだ形で語り伝えられようとしている今、当時の人々のありようを生活の視点から残すことは重要なことだと思う次第です。
今の価値尺度からすれば、悦子は自己主張が足りない優柔不断な女性になってしまうのでしょうけど、彼女のあり方は、一人の女性としてまっとうなものです。古いからとか新しいとかということで善し悪しを決めることはできないのですが、彼女にある善き部分が最近の人からなくなってきているのかも、という気はします。それをノスタルジーと切り捨てることもできるのですが、これもまた語り伝えるべき歴史の一つではないのかしら。
でも、それだけじゃなくって、この映画は娯楽映画としても大変面白く仕上がっています。役者のよさ、セットのリアリティ、感傷的な描写を避けた節度ある演出によって、映画館で観る価値のある映画になっているのです。原田知世の悦子のしなやかで強い意志、本庄まなみのおだやかな元気と、各々異なるキャラが大変魅力的でした。軍人である明石と長与にも身近な誠実さが感じられ、その根っこにある善意を踏みにじる戦争に対しての嫌悪感が、映画の行間から伝わってきます。一般庶民にとっては、戦争というのは具体的な敵はなかなか見えないもので、メディアの作り出すイメージ(偶像と言ってもいいでしょう)に振り回されるということにも気付かされる映画でした。沖縄がおちたという知らせが庶民に届くとき、(「硫黄島からの手紙」で描かれた)手榴弾による自爆は伝わらず、大東亜共栄圏のための中国進出の報道で(「蟻の兵隊」で語られた)中国の一般市民を度胸試しで虐殺したことは伝わらないのです。
静かな映画だからこそ、色々なことに想いを馳せることができる、そんな映画でした。
お薦め度 | ×△○◎ | 当時の感性を細やかに書き残そうとしているところが好き。 |
採点 | ★★★★☆ (9/10) | 戦闘シーンなくても、戦争の悲劇、勇気、男らしさは描けるんだなあって感心。 |
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