written by ジャックナイフ E-mail:64512175@people.or.jp
15世紀のフランスはイギリスに攻め込まれて天を仰いで奇蹟待ち状態。皇太子シャルル(ジョン・マルコビッチ)のもとにやってきました謎の若い女ジャンヌ(ミラ・ジョボビッチ)は、自分は神からの啓示を受けてフランス国王のもとに導かれてきたと言います。国力も戦意も衰えていたフランスにとって彼女はひょっとしたら神からの使いかもしれない、そう思ったシャルルは彼女に軍を任せることにします。そして、膠着状態にあったオルレアンが彼女によって士気の上がったフランス軍によって解放され、一躍彼女は時の人となります。しかし、ジャンヌは神の意志によって動かされているだけであって、軍隊のことも政治のこともまるでわかってません。ひたすら戦いへと向う彼女はフランスにとってもお荷物となってしまい、ついには彼女は捕らえられ異端審問にかけられることになってしまうのです。
「レオン」「アトランティス」などで有名なフランスのリュック・ベンソン監督が今度は「ジャンヌ・ダルク」を撮ったというので、一体どういう映画になるんだろうという期待はありました。一方、あまりよくない評判も耳にしましたが、実物を観てみればこれがなかなか一筋縄ではいかない映画に仕上がっていました。ジャンヌ・ダルクという歴史上の有名な聖人を思いきって生身の女性として描ききったという印象です。といっても女性の生理的な部分を描いたというわけではなく、現代の視点から、客観的に彼女がどう見えるかという描き方をしているのです。
例えば、彼女が神に会ってその声を聞くという重要なシーンがあるのですが、このシーンは彼女の回想という形で描かれます。彼女の現在進行形の体験として、神との対話が描かれているわけではないのです。そこには、彼女の体験が彼女の記憶の中にしか存在しない、単なる彼女の思いこみかもしれないという視点が感じられるのです。この映画は、ジャンヌ・ダルクが主人公のように見えながら、その時々の彼女の周囲の人間が主人公と言えましょう。彼女の信仰が生み出す力はフランスにとって、最初のうちは大変有効なのですが、後になると却って国家の足を引っ張ることになり、結局彼女はフランスから見捨てられてしまいます。しかし、彼女の身近にいる人間は、彼女を救うべく彼らなりの画策をするのですが、それが功を奏さないで、彼女は火刑に処せられます。政治の世界は非情でかつ狡猾であるというのがよく描かれていますが、そのあたりを、ジョン・マルコビッチが今回は控えめに、でもケレン味たっぷりに演じています。
最初は神の声を聞いたという信念が、戦場の累々たる死体を見て揺らいでしまうというあたりも、ジャンヌを生身の女性として扱っているという印象でした。一方彼女の部下の兵士たちはそういう葛藤はとうの昔に割り切っているだけに、彼女に対して不信と同情の入り混じった感情を抱くあたりがリアルでした。彼女の作戦とも呼べない攻撃が英国軍に打撃を与え、オルレアンを解放したのも、彼女が兵法といったセオリー無視の死を恐れない攻撃を見せたから、英国軍が対応しきれなかったということも言えるでしょう。そんな彼女に仕える部下にチェッキー・カリョ、ヴァンサン・カッセルといった面々がいい味を出していました。
後半は、戦果を上げた彼女があくまで徹底抗戦を唱えるために、交渉が難航し、却ってフランスからも疎んじられてしまう様が描かれます。そして、異端審問を受けるようになると、彼女の前に突然謎の男性(ダスティン・ホフマン)が現れて、彼女のとってきた行動を責めあげます。教会側に審問には屈しない彼女ですが、この男の前にはなす術がありません。どうやら、彼女の心の中のもう一人の彼女がその男の正体らしいのです。ですから、彼女の弱点を熟知していてそのツッコミの鋭さには、自分が神の啓示をうけたかどうか、本当に神の使いかどうかということすら、危うくなってきてしまいます。言いかえるなら、冷静に考えてみたときに、自分が本当に神に使わされた人間だったのかどうかが彼女の中でもあやふやになってきているのです。何しろ、神の言葉に従って英国軍に挑んだ戦いに、一度は勝利したものの、そこには敵味方の累々たる死体の山、これが神が望んだことなのか、彼女の信念が揺らいでしまうのです。ジャンヌは自分が単なる神の使いだと開き直らないで、一人の人間として、神を信じる者としてその矛盾を抱えこんでしまうのが、気の毒といえば、ものすごく気の毒ですし、もう少し早く気付けよとツッコミも入れたくなります。
そして、彼女は最後までその矛盾と折り合いをつけることを拒否します。そういう意味では殉教者であり、聖人であるということもできるのですが、この映画の面白いところは、最終的に神の言葉なるものを、彼女の心の中だけに閉じ込めてしまおうという意図が見えることです。彼女は、自分の中の葛藤を誰にも語らずに死んでいきます。その結果、彼女の心の中のミステリーな部分が、彼女を余計目に神格化しているのかもしれないのです。この映画の脚本(ベンソンとアンドリュー・バーキンの共同)の描き方からすると、本当はジャンヌは自分のしたことをムチャクチャ後悔して死んだかもしれないという気もしてくるのです。バーキンがかつて「オーメン・最後の闘争」で「代理戦争をさせておいて、最後に敵の寝首をかく神」という描き方をしていたのを思い出しました。結構、神のやることってえげつないじゃん。同時期に公開されている「エンド・オブ・デイズ」なんかより、こっちの方がずっと神に対しての悪意が感じられます。
しかし、そのえげつない神に、ジャンヌは最後までよく付き合ったものだと思います。最後には、火刑にかかる寸前のジャンヌを前に、司教ですら、神よりもジャンヌを想い、その命を救おうとするのに、彼女は最後まで自分の心の中の神に従順でありつづけるのです。これを、彼女の心の中だけに焦点をあてれば、大変純粋で、美しい結末になります。しかし、彼女の心の外との関係に想いを馳せれば、私には、彼女は「はめれらた」としか言いようがありません。誰かが、彼女の心の中に、「神への服従」と「人間としての葛藤」という相容れないものを吹き込んだのです。オープニングから、彼女は日に3回も教会で告白し、許しを請わないと気が済まないような子供として登場します。一体誰が彼女をそんなふうにしてしまったのでしょう。そして、自分の目前での姉の死というトラウマが、いびつな信仰と結びついたときに起こった悲劇のように思えてならないのでした。
お薦め度 | ×△○◎ | 生身のヒロインを祭り上げて突き落とす政治の酷薄さ。 |
採点 | ★★★★ (8/10) | 聖人をここまでクールに描いていいのかな、信仰の犠牲者に見えるよ。 |
|
|