written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
海辺の町の診療所の医師マット(トム・ウィルキンソン)は、妻ルース(シシー・スペイセク)と息子フランク(ニック・スタール)と一緒にそれなりに平和な日々を送っていました。フランクは年上の子連れ女性ナタリー(マリサ・トメイ)と付き合っていましたが、実はナタリーにはまだ法的な夫リチャードがいたのです。ルースは、若い息子がそんなナタリーと付き合うのには反対でしたが、マットはそれを静観していました。ところが、リチャードがナタリーとよりを戻そうとしてきたことから話は険悪な方向に向い、遂には、フランクが銃弾の犠牲となってしまいます。果たして、残されたマットとルースはどうやってこの不幸に立ち向かうのでしょう。
それぞれに仕事を持つ中年夫婦に、ハンサムな息子。ごくごく平凡で平和な家庭にささやかな波風が立ちました。自慢の息子が子連れで離婚調停中の人妻と恋に落ちたのです。相手の夫は暴力を振るうアブナイタイプ。父親は鷹揚に構えていましたが、母親は気が気ではありません。そして、暴力夫の銃弾に息子が命を落としたことで、夫婦の仲もおかしくなっていきます。そういうドラマチックな展開でありながら、見せ方は大変に静かです。トッド・フィールドの演出は、登場人物の日常風景を丁寧に積み重ねて、心の動きを的確に追っていきます。アントニオ・カルパーチェの撮影はシネスコサイズの横長画面を最大限生かした構図を切りとっていまして、画面がまるで絵を見るような美しさは映画館でご確認頂きたいと思います。閑静な住宅街、エビ漁の海の美しさ、そして海に面した工場群でさえ、絵のような美しさで、引き込まれてしまいます。
美しい景観のもとで、普通の人々のドラマが淡々と展開していきます。息子の死ですら、愁嘆場をスキップして、静かに見せきっています。その後も息子を失った絶望と悲しみを描きながら、そこにやりきれない怒りを積み上げていきます。あまりにも理不尽な出来事にどうしていいのかわからないところから、段々と苛立ちと怒りの感情が頭をもたげてくるところ、そして、その理不尽さ故に、身近な人間に怒りをぶつけてしまう。自分でもその非がわかっていながら、どうすることもできないというどうどう巡りになってしまいます。そんな現状に耐えきれなくなったマットはある決断をすることになるのです。それは、劇場でご確認頂きたいのですが、説得力があって納得できる選択である一方、それが最終的な決着にならない、もどかしさと絶望感は、相当ヘビーな後味を残します。
息子を奪った男は、町の名士の息子らしくて、保釈金を積んで、普通に生活しているのです。街で、母親と男がニアミスするあたりの怖さ、痛々しさを映画はきっちりと見せてくれます。この映画のすごいところは、そういう精神的な痛みの部分がきちんと描かれているところです。例えば、ルースは、自分の夫や息子に対して、高圧的で過干渉な母親です。口論となった時、妻の詰問に追い詰められたマットはルースのそういうところを言葉にしてなじります、「私はお前が怖い」とまで言います。でも、その後「こんなことは言うべきではなかった」とルースを抱きしめるのです。このシーンは思わず涙が出そうになりました。二人の憎しみ、痛み、そして後悔が伝わってくる名シーンと申せましょう。
こんなことが自分に起こったらどうするだろう、なんてことを考えさせる映画はそうは多くないのですが、独身オヤジの私ですら、そんなことを考えてしまいました。やはり、それはこの映画が、普遍的な人間の感情を丁寧にすくいとっているからでしょう。中年オヤジのマットがふと若い人妻に向ける性的な視線、息子を奪われることに対するルースの嫉妬、といったエゴイスティックな感情を肯定も否定もせずに提示して見せることで、ドラマに説得力が出ました。愛と憎しみが同居したような、二人の関係が、特別なものではないと思わせるあたりが見事です。愛と憎しみが紙一重なのではなく、両者が同居しているのだという描き方は、私には新鮮にうつり、かつ痛い映画となりました。
演技陣は地味な面々ながら、いい役者が揃っています。マットが演じるトム・ウィルキンソンは映画では脇役が多い人ですが、ここでは普通の人を、まるで脇役のような淡々とした演技で見せきります。シシー・スペイセクは名優の域に入る人ですが、観客の共感を拒否したようなクールな演技が印象的でした。この二人のベテランを向こうに回して、若い人妻を演じたマリサ・トメイも人間のエゴと善意を自然な形で見せていて魅力的でした。
お薦め度 | ×△○◎ | 恐ろしい結末にさらに恐るべき説得力 |
採点 | ★★★★☆ (9/10) | 内容をよく知らずにいたので、すごい不意打ちを食らった気分。 |
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