written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
女子刑務所の精神科病棟に通う精神科医ミランダ(ハル・ベリー)はある雨の夜、家への帰り道で、道の真ん中にたたずむ少女を見つけ、彼女に走り寄ったところで意識を失います。そして、気がつけば、自分が患者として精神科病棟に収容されているではありませんか。その上、自分は同僚でもある夫を惨殺しているというのです。そんな記憶もない彼女の前に、少女の影が現れては消えるのです。ますます正気を失っていると思われるミランダ。しかし、謎の少女はますます彼女を責め立てるように姿を現します。心身ともに追い詰められた彼女ですが、その少女が何かを訴えようとしていることに気づき、病院を脱走するのですが、果たして、彼女に見えているもの、どこまでが真実なのでしょうか。
最近のスリラー映画は、一見超自然物のような展開をしておいて、その実サイコものだったとか、サイコスリラーのようで実は復讐ものだったとか、観客の期待を裏切ることで楽しませようというところがあるようです。横溝正史の金田一ものにもそういうところがありますが、今回はその中の新しいパターンと呼べそうな展開を見せます。この先はストーリーの核に触れますので、近々ご覧になる予定のある方はパスして下さい。
この映画の監督は「クリムゾン・リバー」のマシュー・カソビッツです。「クリムゾン・リバー」は色々な仕掛けで超自然的なムードを盛り上げることに成功していました。今回は精神科病棟から話が始まるのですが、あまり幽霊とかと縁のなさそうな舞台設定になっていますが、だんだんと物語が進むにつれて、これが超自然ものへと話がシフトしていくのが、この映画の見所となっています。しかし、全編をミランダの主観で描いていますので、どこまでが事実でどこからが彼女の狂気による妄想なのかが区別がつかないってところがあります。ヒロイン本人も自分がどこまで正気なのか自信を失っているので、ドラマは虚実入り混じった展開をしているように見えてしまいます。
ところがどっこい、これが何と、ヒロインの主観はすべて実在するのだという後半の展開はかなりビックリでした。「へえー、そう来るのか」という感じですね。そして、マジ怪談だとわかってくると、ますます「へえー」の世界に入って行きます。かなり強引な決着のつけ方も「いいの?それで。」と思ってしまうようなものです。いわゆる怨霊譚であって、その怨霊の視点に立つとハッピーエンドではあるんですが、人間社会の中でこの結末で丸くおさまるとは到底思えないのですが、そのあたりはかなり無頓着と言えましょう。「クリムゾン・リバー」でもかなり強引に合理的決着をつけたカソビッツ監督ですが、今回は逆に強引に超自然的決着をつけたと申せましょう。雰囲気作りはよくできてますし、一種、アメリカ製「リング」と似たような空気感があって、全体としては悪くないです。女性患者のレイプ妄想や、「一人じゃない」という血のメッセージとか、炎の中の少女のイメージといった小道具の使い方もうまいですし、キャスティングによるミスディレクションも有効でした。
ただ、ストーリーの無理がちょっとすっきりしない後味を残してしまうのが残念です。単純に怨霊譚であるならば、ヒロインがここまで追い詰められる必要はないわけでして、そのあたりの理不尽さが釈然としないものを残してしまうのです。まあ、幽霊に論理性や倫理観を要求するのも無理があるという気もするのですが、やり方のえげつなさからしても、この映画の主人公である怨霊に、あまり同情する気になれないのです。他にやりようがあるだろうにと思ってしまうのですが、この幽霊は徹底してヒロインをいたぶりまくりますので、ホントは被害者であり、救済者である筈の幽霊が悪役に見えてしまうのです。このあたり、映画の作者側に幽霊に対するシンパシーが足りないというか、扱いがよくないというふうにも見えてしまいます。一応、筋を通してあるように見えるけど、昔の西部劇のインディアンみたいな、ステレオタイプの悪役を押し付けられている感じです。日本ですと、幽霊にも生きている人間と同じ人格を与えているのですが、向こうではそういう文化ではないようです。
ヒロインを演じたハル・ベリーが幽霊に振り回されるヒロインを熱演している他、ペネロペ・クルズが患者の役でスッピンメイクでがんばっています。また、ロバート・ダウニーJrの胡散臭さ満点の医者ぶりもうまくはまっていまして、演技陣の頑張りがこの映画を引っ張っていると言えましょう。
お薦め度 | ×△○◎ | サイコスリラーのような前半から怪談へ落とし込むのはやや反則か。 |
採点 | ★★★ (6/10) | ストレートな怨霊譚はいいんだけど、ラストはもう少しきれいにさばいて。 |
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