written by ジャックナイフ E-mail:64512175@people.or.jp
マフィアのボスの娘に手を出した男は殺される運命にありました。ルーイ(ジョン・トーメイ)は、鳩でだけコミュニケーションしてくる殺し屋ゴーストドッグ(フォレスト・ウィテッカー)に仕事を依頼し、殺し屋は手際よく仕事片付けました。ところが手違いでそこにボスの娘も居合わせたために、組織は、今度はゴーストドッグを殺す指令を出したのです。このゴーストドッグという男、武士道に心酔し、愛読書が「葉隠の書」という変な奴なのですが、自分の主君であるルーイには忠誠を誓っています。そして、組織の手が、自分やルーイに近づいてくると、ゴーストドッグは一気呵成の反撃に出るのですが。
ジム・ジャーミッシュ監督というのは、いわゆるアート系の人々の間では、評判の人だそうですが、私はこの人の映画は「ナイト・オン・ザ・プラネット」しか観たことがありません。それより、武士道ネタで、その主人公がフォレスト・ウィテッカーが演じるというところに興味を引かれました。丸っこい体に善意の塊のキャラクターを演じることの多い人で、「スモーク」「スピーシーズ」などでもドラマを和らげる役どころをよく演じています。最近は監督に手を染めていまして、「ため息つかせて」「微笑みをもう一度」といったリアルなヒロインのしっとりとしたドラマを手がけています。そんな彼が殺し屋をやるというのは、どうもミスマッチな印象だったのです。ですが、ジャーミッシュは脚本を書くときにこの殺し屋をウィテッカーのイメージで書いたとのことで、ますます不思議な気分になったのです。
映画は、要所要所に、「葉隠の書」の文面がナレーションとともに登場します。「葉隠の書」というのは、武士道のあるべき姿を教訓集のような形でまとめた本のようで、それは生きる姿勢を説いた書であり、またあるときには戒めともなるようです。主人公は、ビルの屋上で鳩を飼いながら一人で暮らしていまして、子の本を常に座右の銘として行動しているようです。ルーイのために仕事をするようになったのも、彼に以前命を助けられたからで、ゴーストドッグにとってルーイは主君にあたるというわけです。彼がビルの屋上で、日本刀を振り回したり、拳法の型をしたりするのを、不思議な雰囲気の絵で見せたりするあたりは、日本に対する異国情緒が前面に出ている気がしましたが、本筋に入ると、結構まともに武士道を捉えようという意気込みも感じられ、日本の武士道をおちょくってるのか、マジで敬意を払っているのか、よくわからないという印象でした。
物語自体が、何だか一呼吸外したようなオフビートな展開を見せるのも不思議な味わいがありました。確かにマフィアが出てくるし、派手な殺し合いもあり、血生臭い世界が展開するのですが、どこか妙なおかしさを伴っています。登場するマフィアの連中はみんな中年以上のオヤジばっかだし、家賃の催促されてるし、ヒマがあるとテレビでカートゥーンを観ているという、なんだかスケールが小さいという以上にチンケな皆様なのですよ。それを、ヘンリー・シルバやクリフ・ゴーマンといった70〜80年代の悪役連がまじめに演じているだけに、そのおかしさが余計目に際立ちました。
アクションシーンはなかなかシリアスなバイオレンスになっておりまして、躊躇することなく引き金を引くゴーストドッグの動きはムダがありません。チョウ・ユンファのような見栄を切ることなく、ほとんど抜き打ちという感じで、彼の存在を感じさせない、まさにゴーストドッグの名にふさわしい殺しっぷりです。普段は鳩と一緒にお昼寝したり、公園のベンチでアイスクリームを食べたりと静かな日々を送っている分、その静と動の落差の大きさが際立ちました。ただ、ウィテッカーという役者さんは笑顔が人なつっこいキャラクターなのですが、この映画では世捨て人のように無表情な男を演じていて、ちょっと違うなあという印象を持ってしまいました。過去のイメージがあるから、ギャップがあるのかもしれませんが、武士道のストイックな実践者が大柄な黒人というのにも、イメージ的にギャップがありますから、ウィテッカーの過去のイメージとのギャップも結構狙っているのかもしれません。
武士道という部分では、画面に何度も登場する「葉隠の書」は必ずしも、その場面をうまく指しているとは思えないのですが、それなりの雰囲気作りにはなっています。雰囲気作りということでは、RZAによる音楽も見逃せません。いわゆるヒップホップというジャンルになるのですが、ラップをかぶせる前のバックの音だけを取り出すと、アンビエントミュージックの味わいがあります。これがアメリカの中の日本という異文化感とよく合うのですよ。また、鳩を使ったイメージ作りもうまく機能していますし、言葉の通じないもの同士の友情といった設定も面白い趣向でした。
それでも、何だかおかしい、どこかに冷めた笑いを感じてしまう映画になっているのは、監督のセンスなのでしょうか。ラストも大変シリアスな結末なのですが、そこでも、主人公に感情移入しない冷めた視点がつきまといます。ゴーストドッグとルーイの関係も義理と恩の関係が成り立っているのですが、そこにあるのは武士道そのものとはちょっとずれているようにも見えます。ゴーストドッグが行動している武士道なるものを、周囲が理解できないためのカルチャーギャップなのかとも思ったのですが、ルーイにしても、マフィアのボスにしても、ゴーストドッグの行動をきちんと読んでいて、理解しているようにも見えるのが妙な印象でした。
お薦め度 | ×△○◎ | 面白いのですが、どなたにおすすめしたものか。 |
採点 | ★★★☆ (7/10) | 日本をコケにしている映画ではありません。 |
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