written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
息子を飛行機事故で失った母テリー(ジュリアン・ムーア)は精神科医ジャック(ゲイリー・シニーズ)のもとに通う日々を送っていますが、最近、どうも自分の記憶が曖昧になってきています。ある日、戸棚にしまってあった息子のアルバムが消えているのにびっくり、夫の問いただしてみると、そもそもそんな息子なんていないと言われてしまいます。一体それってどういうことなのか。近所で、子供の遊び友達の父親アッシュ(ドミニク・ウェスト)に出会ったテリーは彼を問いただしてみるのですが、彼も自分には子供なんかいないと言うのです。でも、テリーには明らかに息子の記憶があります。果たして、彼女の息子は実在するのでしょうか。
自分の記憶が現実とは違うというのは映画でよく使われる題材です。「トータル・リコール」とか「ビューティフル・マインド」「ジェイコブズ・ラダー」といった作品など、その料理方法は様々ですが、自分の記憶という精神の内面での動きが怪しくなるという設定なので、結末はかなり好き勝手ができるということがあります。この映画では、冒頭からヒロインは、自動車の停止位置とか、コーヒーを飲んでいたかどうかという日常の記憶が怪しくなっているという設定です。そこで、ヒロイン一人だけが事故死した息子の存在を主張するので、観客としては、果たしてこのヒロインに肩入れしていいものかどうかが怪しくなってしまうのです。ジョゼフルーベンの演出は冒頭からすぐに本題に入るという手際のいいもので、ヒロインに感情移入する前に謎を提示してくるので、観客としては宙ぶらりんの気分にされてしまいます。ミステリーの導入としては、かなりうまいと申せましょう。特に、夫であるとか、子供の友人の父親といった面々が、ヒロインの記憶を否定してかかるので、段々、ヒロインが暴走しているのではないかという気分にさせられてきます。
この先はネタバレに触れるところがありますので、これからご覧になる予定の方はパスして下さい。
ところが、ここに国家安全保障局の人間が現れ、ドラマは別の様相を帯びてきます。それまで、ヒロインの内部の葛藤にフォーカスされていたドラマに陰謀の影がさしてくるのです。そして、彼女の記憶が彼女一人のものではなかったことがだんだんとわかってくるに連れて、心理サスペンスから、巨大な陰謀のドラマへと物語のカラーが変わってきます。映画の冒頭に、妙な伏線もなく、すぐに本題に入るのは、後半で前半の流れとは別の展開を見せるからだったのです。そうなると、もう先の展開は読みようがなくなって、「どうにでもしてくれ」という感じで、「えーっ」という展開に身をゆだねるしかなくなってきます。
この映画のアイデアの基本部分は、はっきり言って、テレビの「世にも奇妙な物語」の1エピソードレベルのものでして、突っ込みどころ満載というか、こんな話で劇場用映画を作るか、というものなんです。しかし、そこで、ジュリアン・ムーア、ゲイリー・シニーズ、アンソニー・アンドリュースといった曲者演技陣がきちんとしたドラマを見せることにより、すんごいホラ話なのに、結構面白く最後まで楽しめてしまいました。特に母親の一途な想いをドラマの中心に据えてくるというのが意外な展開でして、前半、ややエキセントリックにも見える母親としてのヒロイン像がそれなりの伏線であったのかとわかるあたりも、「へえー、そうだったのか」と感心してしまいました。一歩、間違えれば、ものすごく安いお話になってしまうところを、きちんと劇場用映画としてまとめあげたルーベンの演出は評価されていいと思います。ラストで全てが元に戻るというものすごいご都合主義な結末が、「ひょっとしてこれ夢オチなのかも」と思わせるあたりもうまいと思いました。まあ、最近の世の中わけのわからないことが起きますからというお話なのかも。「自分の記憶が誰かによって操作されていたら?」という設定に今日的なもの、いわゆる現代の不安というものがもっと投影されていたら、より身近な面白い話になったのかもしれませんが、結局は1アイデア勝負のお話でしかなかったようです。でも、そんな話でも、役者を揃えて「母は強し」を前面に押し出せば、ちゃんと1本の映画としてまとまってしまうところが面白いと思いました。
お薦め度 | ×△○◎ | あの導入から、この結末を持ってくるあたりのパワーはなかなか。 |
採点 | ★★★☆ (7/10) | ウソのような話をよくまじめにかつリアルに映像化したものだと感心。 |
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