written by ジャックナイフ E-mail:njacknife@aol.com
あるケーブルTV局で、斬新な企画が持ちあがりました。ある特定の一人の市民の生活を24時間カメラで追い続けようというもの。オーディションで選ばれたのは、ビデオ屋の店員エド(マシュー・マコナヒー)でして、放映開始のその日の朝から、高いギャラと引き換えに、彼は常に3人のテレビクルーに追いかけられることになります。エドが兄の恋人といい仲になっていくと、視聴率はグングン上がり、一躍エドは時の人となり、彼の恋愛模様が支持率何%とかで新聞に載るようになってしまいます。家族も彼を利用したり、恋人ともうまくいかなくなるし、もうやめたいと思うようになるエドですが、そうは世間が許してくれないのでした。
「アポロ13」「身代金」などの娯楽映画で知られるロン・ハワード監督の最新作です。某ローカルTVの企画でどっかの平凡な奴をエンエンと追いかける番組を作ろうということになり、エドといういかにも軽くてバカそうな若者がピックアップされます。これまでインテリ系の役が多いマシュ・マコナヒーに、あんまり頭よくなさそうな田舎者の役が意外やうまくはまりました。そのエドよりさらに輪をかけたアホ兄貴を、ウッディ・ハレルソンがぴったりの好演ぶりです。そして、実際にオンエアが始まってみると、期待通りのアホな展開を見せてくれるので、テレビ局はしてやったり、さらに驚いたことにこれが予想以上の視聴率を稼ぐようになって、エドや、その関係者は一躍有名人になってしまいます。
しかし、その番組はエドの生活をあらゆる方向から壊していくのです。かつて別れた実父は、職探しのネタにエドの前に現れるし、兄貴は弟のことで本を出版するし、さらに、彼を使って有名になろうって連中も現れてきます。その上、彼の私生活について、新聞で支持率何%なんて言われたり、あの彼女はダメだとか言われたり、いわゆるゴシップの塊状態になってしまうのです。別に映画スターでも人気歌手でもない、ただのエドがです。視聴率がとれるから、局側は当初の予定よりも放映期間を延長しようとします。エドが手を引こうとしても、契約と社会的責任とかいうものが彼をがんじがらめにしてきます。
ジム・キャリーが主演した「トゥルーマン・ショー」は、トゥルーマンと番組のプロデューサーの葛藤をドラマの中心に据えた一種のファンタジーだったのですが、こっちはファンタジーの入る隙間はなく、救いすら見えてこないドラマになっています。それは、エドとかエドの周囲の人間もまんざら被害者とは思えないということ、テレビ局の連中も視聴率を稼ぐということで首尾一貫しているということ、さらにテレビの視聴者もこの番組を楽しんでいるということで、誰もが、この悪夢とも思える状況を修正できないのです。ラストで、目が覚めたエドがささやかな反抗を試みるのですが、それすら、次のエドtvを止めることはできないでしょう。その後味の悪い結末は劇場でご確認していただきたいのですが、後味の悪さの原因はつきつめると、TVの視聴者がみんなバカだからこうなるというところにたどりついてしまうのです。
この映画の中で、エドtvなる番組は全てがドキュメンタリーとして放映されます。ですから、エドは実在する人間であり、その周囲の人間も全てがリアル、つまり実在する生身の人間なのです。ところが、テレビというメディアに乗ってしまった時点で、彼らは市井の人間として扱われなくなってしまうのです。そこには人間としての敬意が払われることはありません。全然、知り合いでも何でもない連中が、エドの恋人はダメだとか、兄貴の支持率は最低とかそんなことを言い出すのです。この映画の小さなエピソードにこういうシーンがあります。エドの恋人は宅急便の配達をしてるのですが、テレビに映った翌日に、配達先のばあさんに、色々とプライベートのことを聞かれて、それを無視すると「有名人だからってお高く止まって」と言われるのです。人は一度メディアに乗ってしまえば、一人のまともな人間として扱われなくなる、それは本人だけでなく、親類縁者にまで及び、そして、メディアの受け側である我々はそれを当たり前のように思っているということです。
今やテレビに出ることで、人の尊敬を得ることはできない、揶揄され攻撃されることはあっても、人としての敬意を払われることはないのです。これは恐ろしい世の中になったものだという気がしますが、そういう世の中になったのは、実は我々自身のテレビの見方、無自覚にメディアに煽動させられるバカさ加減にあったのだと、この映画は突きつけてくるのです。これは後味悪いです。自分のアホを認めることでもたらされるカタルシスなんてないですもの。
この映画は、まだこのドラマの後味の悪さを認識できる時代に作られた映画として、存在価値があると思います。この先、この映画を観ても、何の疑問も持たなくなるような時代が来ないとも限らないと思えてならないのです。インターネット上にばらまかれる個人のプライベートな情報、エセ人間ドラマをドキュメンタリーの如く放映する最近のテレビ番組(どうしてテレビ番組だと、ああいう盗撮が許されるのかが、私には理解できません。全部ヤラセなら構わないのですけど。)など、自分と他人の境界線がどんどん曖昧になっていき、他人への敬意が薄れてしまい、感謝も謝罪も存在しない社会が、そう遠からずに現実のものになるようなコワさがあります。
映画としては、娯楽映画の範疇にうまく落したという気はしますけど、この救いのない結末は、作者が意図したものか、私が過大解釈をしてしまったのか、判断がつきかねるところです。
お薦め度 | ×△○◎ | ドラマとしての遊びがない分、後味がよくないです。 |
採点 | ★★★★ (8/10) | 見応えとしては十分、こういう映画を今残しておく事に意味あり。 |
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