ヒトラー最期の12日間
Der Untergangr


2005年07月09日 神奈川 横浜ニューテアトル にて
ベルリン陥落の12日間を描く実録ドラマ


written by ジャックナイフ
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1945年4月、ソ連軍はベルリンへと侵攻してきて、もはやドイツには彼らに立ち向かう兵力は残されてはいませんでした。部下を鼓舞するヒトラー(ブルーノ・ガンツ)から見ても、ドイツの敗色は明らかであり、側近たちも敗戦のその先を考える者、最後までヒトラーに殉じようとする者、自暴自棄になる者と、様々でした。市民たちは、国家から見放された状態で、統制を欠いた市民兵は装備もなくソ連軍の的になり、親衛隊たちが市民をアカと決め付けて殺してまわっていたのです。そして、ついにヒトラーもその運命が尽きるときがやってきたのでした。

ドイツ映画がヒトラーを正面から描いたということで物議をかもした映画です。ベルリンがソ連軍によって陥落するまでを、ヒトラーの秘書である女性の目を通して描いたもので、名優ブルーノ・ガンツがヒトラーを熱演しています。ヒトラーを描くというのは、これまでタブーであったらしく、ドイツ語で話す人間としてのヒトラーが描かれるのは初めてだそうで、そもそも人間として描けるものなのかというところに、彼のやったことの恐ろしいまでの悪魔性がありました。では、この映画はヒトラーという人物を描こうとしているのかどうかというと、それは否と言わざるを得ないのですよ。ベルリン陥落の時のナチスドイツの群像ドラマとして観るのが妥当だと思います。その群像の一つのパーツとしてのヒトラーということになります。何しろ、映画の冒頭からドイツの敗色は濃厚で、もはや、かつてに勢いのないヒトラーから始まるのですから。

ある人間を描くのに、その死の直前を描くというのは、私は反則じゃないかと思っています。あるテーマの中で死に瀕した人間を描いたドラマがあることは認めるのですが、それをその人のプロフィールにように描くのはフェアとは言えません。死刑直前の殺人犯とか、東京裁判での東条英機とかと同じように、自殺する寸前のヒトラーにスポットライトをあてて、その人のイメージを作ろうというのは、トリッキーなものを感じます。少なくとも、冷静な視点ではなく、むしろ人間臭いヒトラーを強調したいという意図が感じられるのです。確かにそういう一面もありますでしょうけど、それなら、その一方で調子こいてる時のヒトラーも見せてくれないとバランスがとれません。つまり、この映画は人物を切り取ったのではなく、ある時間を切り取ったドラマであると思って観ないと、おかしなことになると思うわけです。

とはいえ、この期に及んでも、彼の言動は、国民に対する愛情は感じられず、「若者は国のために死んで当然だ」と口走ります。そして、負けが見えた後は自分の死に様だけを気にかけていて、敗戦処理などまるで考えていません。彼の周囲の信奉者たちはそうであり、もっと冷静な連中は生き残ることを画策するか、後はもはやこれまでと自ら死を選択していきます。ともあれ、国家の中枢が市民を放り出して右往左往している様は、見ていて憤りを感じさせるものがありました。机上の空論を繰り返している間に市民が次々と負傷し、殺されている様は、日本でも同じようなことがあったのではないかと思わせるに充分な説得力がありました。

ここでのドイツ国民は、市民をアカ呼ばわりして殺してまわる親衛隊をのぞいては、被害者であるという描き方をしています。それが本当なのかどうかは微妙なところなんですが、何百万人ものユダヤ人を殺したのはヒトラー一人ではないと思うと、被害者ヅラしていいものかという気になってきます。日本の戦争映画を観たら、中国人や韓国人も同じことを考えるかもしれないですね。まず攻めてきたのはそっちだろう、って突っ込みは出ると思います。政治の駆け引きとは関係なく、生活を破壊される市民の感情としてはそんなところではないのでしょうか。この映画では、何百万のユダヤ人を殺戮したドイツや、それを扇動したヒトラーは描かれませんから、その意味では、ヒトラーを描いた映画とは言いがたいですし、ナチスドイツを描いた映画でもないでしょう。

でも、この映画は戦後60年たって、初めて作られた題材であるということ、そしてナチスドイツの終焉をドイツ人監督であるオリヴァー・ヒルシュビーゲルが描いたということに大きな意義はあると思います。それはこの先の歴史の中でヒトラーがどう語り伝えられるかという時の一つのマイルストーンになると思うからです。それはドイツ国民が自分たちの祖父母の代で行ったことの評価をきちんとしようという表れとなります。そういう意味では、この映画はヒトラーとその取り巻きをかなりクールに描いていると言えましょう。一方、語り部である秘書の視点は、事態をただ眺めているだけなのですが、最後に生きる意志を強く前面に出してきます。彼女に今のドイツ国民をだぶらせて、彼女がどう生きるのか、それがドイツの未来を決めるという見せ方です。そして、さらにダメ押しで、年老いた本人が登場し、「自分はナチスドイツが何をしてきたのかをまるで知らなかった」と告白することで、ドイツ国民の背負っている責任にまで踏み込むあたりは見応えがありました。「東京裁判は戦勝国の勝手な裁判だから、裁かれた人間は実際は罪がない」とか「自衛のための戦争だった」と戦後60年たってから言い出す日本とは違うものを感じさせます。プロパガンダやイデオロギーとは関係なくやっちゃったことは知らなきゃいけないという姿勢は大変共感できるものがありました。

ただ、一つ気になったことは、この映画で、市民の救出に奔走する大尉が登場して、ヒューマニズムあふれる行動をとるのですが、彼がユダヤ人に対しても同じように接することができたのかという点でした。


お薦め度×ヒトラーを描いているとは言い難いけど、観る価値あり。
採点★★★★
(8/10)
観る方が試される映画なのかも。

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