ショコラ
Chocolat


2001年05月03日 神奈川 藤沢キネマ88 にて
フランスのある町にチョコレート屋の母娘が移ってきました。


written by ジャックナイフ
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熱心な村長(アルフレッド・モリーナ)が厳格に取り仕切っていたフランスのある町に、チョコレート屋を営む母娘が引っ越してきました。それも村の断食の時期に、村長には、チョコも女主人ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)も、人々を堕落に誘惑する悪魔的な存在に見えたようです。でも、彼女の作るチョコレートは評判になり、また、彼女の自由なもの考え方が、禁欲的な習慣に慣らされてきた村人の心に、新しい風を吹き込むのですが、事はそうはうまくは運ばないのでした。

「サイダー・ハウス・ルール」のラッセ・ハルストロム監督が今回はリアリティよりは寓話のような趣のドラマを作りました。北風に運ばれてやってきた母と娘が開いたチョコレート・ショップ、その甘いカカオの香りは、禁欲的な生活をしてきた村人に新しい風を吹き込むことになるという、何だか絵本を読んでいるような気になってくるお話です。実際、村を空撮で捉えて、その視点がぐっと教会に寄ってくるあたりは、SFXも交えておとぎ話のような味わいの絵を作り出そうとしているようです。このオープニングは日本のアニメ「銀河鉄道の夜」を思い出したのですが、こういう神の視点から始まってドラマの主要舞台へ、その視点が移動していくという手法はどこかにオリジナルがあるのでしょうか。

物語としては、あまりドラマチックな展開は見せません。あらすじだけ言えば確かにシリアスなエピソードが色々とつまっているのですが、それを淡々というよりはあっさりと描いていて、そのあっさり加減が不思議な味わいのドラマになっています。ヒロインの周囲を固める面々がなかなかに豪華でして、大家のジュディ・デンチ、その娘キャリー・アン・モス、ヴィアンヌに感化される主婦にレナ・オリン、そのダンナにピーター・ストーメア、そして、ジプシーのヘッドにジョニー・デップといった曲者が、これまたくどくならない控えめな演技で好演をしています。特に敵役となるアルフレッド・モリーナは、神に対して忠誠であろうとして、やたらと「あれもダメ、これもダメ」という禁欲的で独善的な村長をコミカルに演じきっているのが見事でした。

しかし、この村長の悪意のない拘束というのは、かなり根の深いものがありまして、悪意ではないだけにそれを押さえつけることも難しく、言っていることは神様の後ろ盾があるものですから、それなりの威厳もついて、多くの善良な人間は彼に従わざるを得なくなるのです。私は、宗教なんて、あるコミュニティをまとめるための方便が、その根幹にあると思っていますから、その方向が寛容から拘束の方向に走るのはもっともだと思ってます。だからこそ、おかしな方向に走らないような歯止めが必要なんですが、大体トップの人間がおかしいと軌道修正がかからないのが現実です。よく、映画に出てくる宗教をバックに悪さをする人間は、目一杯悪者として描かれるのですが、この映画では結構人間臭いコミカルなキャラクターとして描かれるので、人間ってこういうものなんだよなあという諦観のようなものまで感じられてしまいました。

母娘が現れるときに街中に突風が吹いたり、ヴィアンヌの両親のエピソードがウソかホントかわからないようなおとぎ話のようだったり、ファンタジーのような趣のある展開を見せるのですが、ラストでそのファンタジーとの決別が心地よい後味を残します。ジュリエット・ビノシュが今回は熱演というよりは全体の狂言回し的な役どころ、軽妙に演じていたのが、後半になって、感情のゆらめきを見せるあたりが圧巻でした。いわゆる、北風に乗ってやってきた、あまり存在感がないようなヒロインなんですが、そのヒロインが地に足をつけるようになるまでを描いた物語とも言えましょう。

チョコレート、正確にはカカオには何やら不思議な力があるようで、チョコレート職人は、いわゆる魔術師みたいな存在のように描かれるのが、興味深かったです。いわゆる、民間信仰における魔女みたいな存在なんです。ですから、彼女は教会へ行きませんし、異端者のような扱いをも受けてしまうのですが、それはあくまでお話の色づけ程度の扱いになっています。ハルストロムの演出も特にチョコレートの魅力を語ることもしてませんし、その視線は、あくまでヒロインに注がれていたことがわかるラストは、私のとって心地よい後味を残してくれました。


お薦め度×風の又三郎みたいな展開からラストで一ひねり。
採点★★★☆
(7/10)
群像ドラマとしての面白さがマル。

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