アンドリューNDR114
Bicentennial Man


2000年05月27日 神奈川 ワーナーマイカルみなとみらい2 にて
ロボットが人間になりたがるお話。


written by ジャックナイフ
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近未来のある日、その家庭に1台のアンドロイドがやってきます。それはアンドリュー(ロビン・ウィリアムス)と名付けられ、一家の中に段々と溶け込んでいくのですが、彼は他のアンドロイドとは違って、創造力があり、そして自らの意志を持つようになります。アンドロイドとしては欠陥商品らしいのですが、一家は彼を人格のある存在として扱います。そして、彼は自由を求め、女性に恋し、人間になろうとまで考えるようになります。アンドリュー、どうしてそこまで人間になりたいの?

原作はSFの巨匠アイザック・アシモフだそうですが、この人はロボット三原則を書いた人で、その原則はこのこのこの映画の冒頭にも登場します。要はロボットは人間に従う存在だという原則です。ところが自我に目覚めたアンドリューは自分に自由がないことに気付きます。どうしてそんなことを考えるようになったのかという発端も興味深いものがあります。アンドリューに創作の才能を見つけたご主人様が彼に人間としての知識を教えるようになり、アンドリューは人間としての人格を形成し始めるのです。それは子供が父親から教えをうけるが如しです。ご主人様はアンドリューが他のアンドロイドとは違うユニークな存在であることを認め、家族にも彼を一つの人格として扱うように言います。その環境の中で、彼は人間としての感情を育て始めます。なぜ、アンドロイドが自由を欲し、女性に恋するようになるのか。そのあたりの理由はよくわからないのですが、この映画を観る限りはアンドロイドも人間も同じようなもので、人間として扱われれば、人間としての成長を見せるらしいのです。

それでも、所詮はアンドロイドは機械です。ご主人様はそこのところをきちんとわかっていて、「ロボットに時間は存在しない」と説きます。実際、アンドリューはご主人様やその娘の老いや死を看取ることになります。当然、悲しみの感情を持つアンドリューですが、これはペットの死を悲しむのと同じではないかしら、寿命が違うんだから、長生きする方が相手の死を看取るのは驚くにはあたりません。とはいえ、アンドロイドには寿命がないのです。だから、彼は人間社会に入れてもらうことができません。なるほど、種が違うんだから仕方がないよなあって気がするのですが、それでもアンドリューは人間になることにこだわります。このあたりの彼の想いが私には理解できませんでした。

ご主人様にせよ、恋人にせよ、アンドリューをアンドロイドと認めた上で、その人格も認めています。だったら、それでいいじゃないと思うのですが、人間にこだわってしまうアンドリューの存在に、この物語の作者たちの人間優位の差別意識が見えてしまいます。それに、人間には寿命があるからといって、寿命があるから人間だというのは詭弁です。人間にもアンドロイドにも、各々に長所短所があるわけで、その人間の短所の部分をとりこまないと、アンドロイドと人間が対等にならないというのは、個人的には納得のいくものではありません。ドラマの中で、人間たちがそういうことをアンドリューに強制するのならまだしも、アンドリューが自発的にそういう行動をとるというところに、胡散臭さを感じてしまいました。だって、心の痛みも他人への思いやりも持ち合わせたアンドリューにそれ以上のものを望むことはないですもの。ということで、この映画の結末には納得しかねてしまうのです。

演技陣は、みな好演でして、ロボット顔のアンドリューからロビン・ウィリアムスが演じているそうです。また、一見とっつきにくそうなエンベス・デイビッツがアンドリューのあこがれの人を好感の持てる演技で好演しています。オタク役がはまるオリバー・プラットは、コミカルな味わいで後半のドラマ展開を救っています。特筆すべきは、ご主人様を演じたサム・ニールで、難しいポジションを見事に演じきりました。この人はホラー映画の主役が多い人ですが、「ピアノ・レッスン」や「モンタナの風に抱かれて」などで脇役にまわるといい演技を見せてくれます。

私にとっては、人間であることは素晴らしいことですが、人間になることが素晴らしいわけではないと感じさせてくれる映画でした。まあ、そういう趣旨の映画ではなさそうですけど。でも、観て感動した方も多いと聞いてますので、素直な気持ちでご覧になれれば楽しめる映画だと思います。


お薦め度×人間に近づくことに意味があるのかしら?
採点★★★☆
(7/10)
個人的には釈然としない結末。

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