夢inシアター
みてある記/No. 165

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レッド・バイオリン
レッド・バイオリン

- The Red Viorin -

一台のバイオリンに秘められたドラマ、でも何じゃこの結末は?

Jul.17,1999 静岡 静岡ミラノ2 にて


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あるオークションに引っ張り出された一台のバイオリン、これは「レッド・バイオリン」と呼ばれた世界にまたとない名器です。この楽器を手に入れようとオークションに集まった人々、4世紀に渡ってのバイオリンを巡るドラマが今明らかになろうとしてます。そもそも、17世紀にイタリアで作られたバイオリンは、オーストリア、イギリス、中国を経て、そこで様々な人々のドラマを見続けてきたのでした。

台のバイオリンに関わった人々の数奇な運命を描いたオムニバス風のドラマです。メインの舞台は現代のオークション会場で、その各々のタイミングで回想形式でバイオリンにまつわるドラマが描かれていきます。同じ時点を、視点を変えて繰り返し見せる手法をつかったり、バイオリン職人の使用人の占いをバイオリンの運命とだぶらせたり、凝った趣向を見せるのですが、どうもドラマとしての必然性が欠けてしまったようです。あるバイオリンにまつわる様々な人間のドラマをみせようというのなら、妙な小細工をしないでストレートに見せた方がよかったように思いました。色々な趣向のおかげで、ドラマの核になる部分のよく見えなかったのですよ。人を不幸にする呪いのバイオリンの物語だとしたら、それはそれで面白かったのですが、そういう話ではありません。

イオリンという楽器の持つ独特の神秘性は、なんとなく理解できます。そして、そのバイオリンの響きがあるときは、人を奮い立たせ、人に創造の衝動を与え、人の心を狂わせるのです。そんなエピソードが描かれていくのですが、そこにあるのは人間って滑稽なものだというものです。この映画の面白いところはバイオリンの物語なのに、音楽の素晴らしさといったものには、まるで無頓着だということです。バイオリン、そして音楽というものは、愛情の形、出世の手段、自己満足の道具、粛正の手先、金もうけの対象だというふうに描かれます。そこには、音楽の感動といったものはほとんど絡んできません。人間と音楽との関わりってこんなものなの? と思わせるエピソードを観ていると、名器と呼ばれる楽器に何の意味があるのだろうという気分になってきます。高い値段のついた楽器の価値なんて、単なる道楽者の自己満足ではないかしら。その違いがわかることで、その楽器の値段を上げることで、自分の値段(価値)を上げようとしてるだけなんじゃないのかな、そんな気にさせる映画です。

に中国で西洋音楽が弾圧され、バイオリンも焼却の危機に見舞われるエピソードが印象的でした。これは、自分の価値を上げるものではないのですが、当時の中国の権力者側が自分達の値段を上げるために、相対的に外国文化の値段を下げたということでは、同じようなものです。そんな道具であり続けたバイオリンが果たしていかなる結末を迎えるのかは、ここでは申せませんが、かなり皮肉な結末は、ひょっとしてこの監督のフランソワ・ジラールは子供のころ、音楽の成績がものすごく悪かったのではないかと思わせるものがありました。

技陣では、私としては久しぶりのグレタ・スカッキとシルビア・チェンが懐かしくも年取ったなあという印象でした。ジョン・コリリアーノによる音楽は、バイオリンの音楽よりも、バイオリン職人の妻がつぶやくスキャットの方が印象的でした。フィルハーモニア・オーケストラによる音楽はそれ自体は美しく聞き応えのあるものですが、映画のもつシニカルな視点を、微妙にぼかしているのが、面白いと思いました。多分の観る人それぞれによって異なる感想を持てる映画ですから、音楽の好きな人、そうでもない人、楽器の弾ける人、弾けない人など、視点の異なる人と一緒に御覧になると後の会話が弾むのではないでしょうか。

ジャックナイフ
64512175@people.or.jp

お薦め度 採点 ワン・ポイント
○ 2点2点2点1点0点 ロケによる絵の美しさも要チェック。
登場人物が各々の母国語を使っているのが新鮮。
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