夢inシアター
みてある記/No. 160

dummy
dummy

ゴールデン・ボーイ
ゴールデン・ボーイ

- APT PUPIL -

ナチに心酔する少年が、出会った老人の過去をネタに、優位に立った筈なのに。

1999.6.26 神奈川 シネプレックス8平塚シネマ3 にて


dummy

ッド(ブラッド・レンフロ)は成績優秀な高校生、歴史が好きな彼は、ホロコーストに特別興味を持っていまして、ナチに関する資料を密かに集めたりしていました。そんなある日バスで見かけた老人(イアン・マッケラン)が元ナチの高官で手配されていることに気付きます。彼の指紋まで調べ上げて「あの時代の話を聞かせろ」と迫ります。最初はとんでもないガキにつかまったと思っていた老人ですが、少年は老人の中に眠っていた何かを覚醒させてしまいます。一方、トッドの方も老人の話から何かが変わり始めるのです。

ティーブン・キングの原作を「ユージュアル・サスペクツ」で観客を煙に巻いたブライアン・シンガーが監督しました。味わいとしては彼の第一作「パブリック・アクセス」に近いもので、閑静な住宅地に潜む悪意と憎悪を不気味に描き出しました。全編を通して恐怖のテンションが高くキープされ、かといって日常生活のレベルからその恐怖が逸脱しないのがうまい映画です。主人公を演じた二人がリアルなキャラクターを好演しています。

れにしても、トッドの行動の動機をはっきり示さないところが不気味です。ナチのホロコーストに興味を抱くところまではわかるのですが、段々とその手を下す側に肩入れしていってしまうあたりの心理の流れはよく理解できませんでした。ただ、老人の話す内容は事実だけが持つ不気味な説得力があり、感受性が豊かな年頃にそういう話を吹き込まれたら、やはりおかしくなってしまうのでしょうか。ナチの残虐行為を映像でなく、老人の語りだけで見せる手法は成功しています。その語りだけで、充分に精神を蝕んでいく様が納得できるあたりは、演技、演出ともに見事なものと申せましょう。刺激的な映像や編集のテンポでたたみ込むことをせず、個々のシーンで丁寧に役者の演技を見せきる演出が効いています。

ッドは段々と成績が下がっていきます。最初は単なる好奇心だったのではないかと思われるホローコストのイメージが彼の中で大きな比重を占め始めます。それとともに脅迫者であったはずのトッドが、老人の支配下に下っていってしまうのです。そりゃ、頭がいいと言ったって、所詮は子供。ナチの狂気を知識としてのみ取り込むには彼は器が小さいと言わざるを得ません。一方の老人は昔の古傷をつつかれているうちに段々と過去の自分が蘇ってきます。トッドが無理矢理ナチの軍服を老人に着せるあたりは圧巻です。ここで「これは非常に危険なゲームだ」と老人が言うあたりの怖さは、実物を御覧になってご確認下さい。

ぜ、人はナチスドイツのような残虐な行為を行えるのか。このあたりの見せ方も一筋縄ではいきません。現代の少年トッドを主人公とすることで、ああいう残虐な行為は歴史や年齢を超越した人間の本性ではないかと思わせるのです。理性や良心といったものが、それを普段抑えつけているのですが、ある強烈な精神的刺激によってその感覚がマヒしてしまう怖さをこの映画は描いています。逆に言えば、マインドコントロールのノウハウが提示されているとも言えるのではないかしら。

の映画に描かれる恐怖は結構身近にあるかもしれないというのが、ある種の不快感を運んできます。その不快感はラストで頂点に達します。ナチの亡霊という非日常の恐怖が、日常の悪意に変わっていくというのが、いやな後味を残すのですよ。出だしがまともなスリラーのような構成にしておいて、この結末は、あまりにもありふれた日常に潜む悪意(悪魔と言い換えてもいいでしょう)が淡々と描かれているのです。ラストは原作とは変わっているそうですが、この不快な後味は、シンガーの第一作「パブリック・アクセス」に通じるものがあります。

半はかなり血生臭い展開にもなってくるのですが、そこでも一定のテンションが保たれ、妙な盛り上がりを見せないあたりが、このドラマのうまさ怖さにつながっていると思います。また、この映画、ドルビーSRの劇場で観たのですが、音の設計がかなり緻密で、サラウンドでのオフの音の使い方とか音楽のふくらませ方などが見事でした。ジョン・オットマンの音楽は、あまり目立たずに、全体を地味にまとめたという感じでした。

ジャックナイフ
64512175

お薦め度 採点 ワン・ポイント
△ 2点2点2点2点0点 あんまり後味よくないので、デートコースのお供にはちょっと。
脇の適役適演も光るなかなかの見応え。
dummy