死者がよみがえる、ストレートなゾンビもの、和風叙情編。
1999.3.11
神奈川 川崎チネチッタ2
にて |
学生の時以来、久しぶりに、四国の故郷の村に帰ってきた比奈子(夏川結衣)は、幼なじみの莎代里(栗山千明)が11年前、高校生の時に亡くなっていたことを知ります。もう一人の仲良しだった文也(筒井道隆)は比奈子が東京へ引越した後、莎代里と付き合っていたようです。莎代里の家は死者の霊を呼ぶ口寄せの儀式を行う家系で、彼女の死もどうもその儀式の最中に亡くなったのではないかという噂でした。そのころから、村のあちこちで死んだ人間の姿が見られるようになり、比奈子も文也も莎代里の霊を目撃します。一体、この村に何が起ころうとしているのでしょうか。
ることを行うと、死者が肉体とともによみがえってくる。そんなことがあるのでしょうか。欧米の小説でもタブーとされている死者の蘇りをストレートに描いた作品です。あちらの映画で死者が蘇るというのは、医学的ホラー(「フランケンシュタイン」「ゾンバイオ」)と、地獄の門が開くというオカルトホラー(「ビヨンド」「地獄の門」)といったものがあるのですが、この「死国」はオカルトに近いもので、ある宗教的段取りを踏むことによって死者が肉体を持ってこの世に蘇るというお話です。
体を流れる静かな雰囲気描写、淡々とした展開はなかなかのものです。長崎俊一監督は、一種の乙女心の悲劇としてこの蘇りの怪異談をまとめあげていて、雨月物語の1エピソードを読むような趣のある一篇になっています。また、現代にこういう設定を持ち込むのに四国の山村という設定が成功していまして、お遍路さんと絡めたあたりに、不思議なリアリティが生まれました。少なくとも映画を観ている最中は、死者が蘇るというとんでもない話に違和感を感じることはありませんでした。呪術、シャーマニズムというものは、時として現代人の理解を超えたことを起こすかもしれない。そのあたりの見せ方がうまいのでしょうね。
人公の比奈子と文也の影が薄いのも演出のうちかもしれません。夏川結衣は、美形だけど今一つキャラクターが曖昧で、あまり印象に残りません。筒井康隆に至っては、さらに何考えてるのかわからないというタイプ。その一方、莎代里のキャラクターが強烈な印象を残します。この世に未練を残しながら死んでいった彼女が、幽霊として現われるシーン、ゾンビ化してから、「文也君に会いたい」と言うシーン。栗山千明が、現代的じゃないルックスにものを言わせて、非常にインパクトのある莎代里という女性を演じきりました。そして、その思いが成就するのかどうかは劇場でご確認ください。
た、そもそのこの事件の発端を作る、蘇りの仕掛人、莎代里の母を演じる根岸季衣がインパクトのある演技を見せてくれます。しかし、おどろおどろした情念の世界にまで入り込まないで、早すぎた死の悲劇にまとめたあたりの長崎監督のセンスはいい線いっていると思います。その淡々とした展開が、撮影、美術の美しさとあいまって、どこかで起こった不思議な話という印象となり、ラストも意外とスッキリした後味を残しました。
ジャックナイフ
64512175@people.or.jp
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莎代里の幽霊の出方が遠慮がなくてすごい。
ラストのベアハッグはご愛敬。
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