いよいよガメラ3部作の完結篇。今回は今までと違うぞ。
1999.3.6
神奈川 茅ヶ崎ワーナーマイカルシネマ5
にて |
995年のギャオスとガメラの闘いの巻き添えで両親を失った綾奈(前田愛)はガメラに対する恨みを持っています。ある日、いじめっ子たちに脅されて入った洞窟の中で不思議な石をみつけます。それは、柳星張という怪物を封印していたものだったのです。そして、洞窟の中で何かが解き放たれてしまいます。一方、世界各地でギャオスが次々と発見され、地球規模でギャオスが暴れ始めます。長峰(中山忍)にも招集がかかるのですが、時を同じくして、ギャオスを追ってガメラが渋谷に現われ、ギャオスと戦闘を繰り広げて、渋谷を火の海にしてしまいます。どうやら、地球の生態系がまたおかしくなっているようです。さらに恐ろしいことに、解き放たれたものは、綾奈と融合することでさらに進化を始めていたのです。
成ガメラも3本目です。第一作は、現代の日本に怪獣を出現させたらどうなるかという文字通りの怪獣映画でした。そして第二作は、未知の脅威に人間はどうやって自衛していくのかを描いた一種の戦争映画でした。さて、完結篇の第三作ですが、今度は綾奈という少女をヒロインにした、少女SF、もののけ姫風味という感じです。(人によってはエヴァ風味と言うかも)従って、今回は、ガメラ自身はラスト近くまでほとんど脇役の扱いになってます。綾奈という少女とイリスなる生命体のつながりがメインのドラマになっているのです。物語は前二作の完全な続編ですから、3だけ観ても人間関係が把握できない部分があります。この映画を御覧になる前には、前作の予習は必要でしょう。必要以上の人物紹介ははぶいています。
インのドラマ部分は前田愛ちゃんが熱演してまして、なかなかに少女SFとして楽しいものになっていますが、それでは、前二作の常連さんには物足りないと思ったのか、渋谷の破壊シーンはかなり徹底してやってくれています。これだけ人死にが出る怪獣映画も珍しいです。ギャオスをやっつけること以外には、全く無頓着なガメラの暴れっぷりは、怪獣映画の都市破壊はこれだというものを見せてくれます。そして、クライマックスの京都駅の対決も巨大で重量感あふれる戦闘シーンが続き、スペクタクルとしての見応えは充分です。
だ、完結篇だということで、言いたいことをすべて語ろうしたのでしょうか。今回はやたらセリフの説明の多い映画になってまして、映像の力で押しきった前二作に比べると、ややまどろっこしいという印象を受けてしまいます。ガメラやギャオスといったものの因果関係なんて、なんとなく匂わせる程度で十分だと思うのですが、そこに「マナ」なる概念まで持ちこんで説明しようとするのは、まあ語りたい気持はわかるけど、娯楽映画としてはマイナス要因になってしまったように思います。似たような説教臭さは「もののけ姫」を観たときにも感じたのですが、あちらは時代劇の分、なんとなく納得してしまったのですが、現代劇でこういう古代宗教みたいな概念を持ち込むと、よほど語り口がスマートでないと、胡散臭さが先に立ってしまいます。
はいえ、この映画でガメラを完結させようとしている、脚本、演出の潔さは買いたいと思います。ラストの決着の付け方も、これで終わりだという明確な意思表示だと思いました。このラストもちょっとSFアニメのテイストが感じられたのは、私だけでしょうか。「うーん、世紀末やねー。」という後味は、四半世紀前の「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」が流行ったころの空気を思い出させるものがありました。
者さんでは、タイトルトップの中山忍が、今回は狂言回し的な役どころを控えめにこなしています。前田愛のまわりのティーンの役者さんたちがなかなか頑張っていまして、NHKの少年ドラマ風の味わいもこのあたりから来るのでしょう。新キャラクターの山咲千里や手塚とおるといった人たちは、最初はもっと出番が多いはずが削られてしまったような印象を受けてしまいました。彼らがいわゆるテーマの説明部分を担当しているのですが、これ以上、出番が多いとお話がはずまなくなってしまうという気はしましたもの。今回はあまり自衛隊が活躍するシーンがないのですが、石丸謙二郎(「世界の車窓から」のナレーター)や上川隆也といった声のいい役者さんが要所を引き締めたという印象です。
覚的な見せ場も多いですし、破壊のスケールも大きいですので、できるだけ大きなスクリーンの劇場で、ちょっと前の方に座って御覧になるのをオススメします。クライマックスのガメラとイリスの巨大感が小さい画面では迫力が半減してしまいます。
ジャックナイフ
64512175@people.or.jp
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恐怖怪獣美少女SF映画って感じでしょうか。
段々ガメラの顔が大魔神に似てきたぞ。
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