おばさんの死病もの。でもそれだけじゃあございません。
ギリスの地方都市のコンピュータの基盤工場で、義姉のジャッキー(ジェリー・ウォルタース)と働くドーン(ブレンダ・ブレッシン)は何だか体調が思わしくありません。一方、ジャッキーは亭主との仲は最悪、ビンゴクラブのマネージャと不倫状態です。そんなある日、ドーンが週末のビンゴで大当たり、何と10万ポンドを手にします。しかし、その一方で彼女の体は癌に蝕まれていたのです。結構、自分勝手に好きなように生きてきたジャッキーですが、幼なじみの親友が病魔に侵されていくのを黙ってみていられません。ふと思いたったジャッキーは、ドーンをラスベガスへと連れて行きます。そこはドーンの長年の夢の場所でもあったのです。
なじみで、義理の姉妹であるドーンとジャッキー、持ちつ持たれつでやってきた二人の関係ですが、どちらかというと強気で声の大きなジャッキーが困ったちゃんという感じでしょうか。ところが、ドーンが一度は克服したはずであった癌に再び侵されたということで、二人はお互いの人生を見直す岐路に立つことになります。よくあると言っては悪いですが、仲のよい二人の片方が死に至る病に侵されてしまうというパターンは「マイ・フレンド・メモリー」「ラスト・ウェディング」「マイ・ルーム」なんてのがありましたが、一つの定番化している題材と申せましょう。この映画はそこに、おばさん二人のリアルな息遣いを加えて奥行きのあるドラマに仕立て上げています。
しろドーン役は「秘密と嘘」で、側にいてほしくないおばさんの典型を演じたブレンダ・ブレッシンですからね。ところが、今回の彼女はもともと控えめに生きてきたおとなしいタイプのキャラクターを演じているのです。なるほど役者さんだなーって感心してしまいました。(それくらい、「秘密と嘘」のインパクトが強かったのですよ。)病魔に侵されて、彼女なりに闘いを挑むのですが、その効果があまりないことを知ると、延命治療を拒否するという役どころを、おっとりとした外見に強い意志をこめて演じきりました。特に、こういう映画にありがちな人生を達観してしまうのとは、一線を画すキャラクター作りは見事だと思います。確かに「天使を見た」とか何とか口走るようになっちゃうのですが、それでもご近所のおばさんのスタンスを崩さないところがいいのですよ。そして、それほどのものじゃない筈のおばさんの価値を、死を迎えてから、みんなが思い知るというのは、なかなかに残酷な気もします。モノの価値は失ってからわかるというのは、理屈ではごもっともですが、それをこういう形で見せられると切ない気分になってきます。
方のジェリー・ウォルターズ演じるジャッキーは、いわゆる図々しさとパワーで生きてきたオバタリアンの典型のようなタイプ。言い方は悪いですが、どこかふてぶてしさすら感じさせるおばさんが、ドーンを失う恐れでパニックになってしまうあたりが圧巻です。彼女やそのダンナ、そしてドーンのダンナといった面々が非常にリアルに描かれています。そのリアルさというのは、善悪という価値基準で一刀両断できない奥行きとでも言うのでしょうか。その生な存在感がドラマにある種の厚みを加えています。
方、お話がラスベガスに移ると、そこは現実のどんよりとした重さから離れた別世界のような趣があります。そこには、二枚目中年コディ(クリス・クリストファーソン)と抜けるような青空と、カジノのギンギンのイルミネーションがあります。ここで最後の夢のような時間を過ごすドーンなのですが、ここを単なる思い出の場所に終わらせなかったところにこの映画のうまさがあります。そこは劇場でラストシーンをご確認いただきたいのですが、私はかなり泣かされてしまいました。死に行く者とそれを見送る者の人生は、良くも悪くも同じだけの価値があるというのを見せてくれる映画です。
病を扱った映画ですと、死を迎える者ばかりがなんだか賢くて優れているような印象を与えてしまうものが少なくありません。私は、なぜ、死を迎える人が見送る人より優位に立つのか、人格的に優れてしまうのかというのが、いつも気になっていました。この映画でも前半ではそういうところがあるのですが、ラストでそれを見事にフォローしました。確かに、ストレートな泣かせのシーンもあるのですが、ラストシーンのおかげで、この映画は単なるお涙頂戴モノと一線を画す映画となりました。
ジャックナイフ
64512175@people.or.jp
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癌の死病映画でも御覧になれる方にはおすすめの一本。
おばさんって日本も向こうも大差ないのね。
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