夢inシアター
みてある記/No. 101

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始皇帝暗殺
始皇帝暗殺

- 荊軻刺秦王 -

大河ドラマってこういう感じだよなー、嘘でもホントでも圧倒されます。

1998.11.15 東京 渋谷パンテオン にて


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元前3世紀、秦の王、政(リー・シュエチェン)は、他の六国を滅ぼして天下統一を図ろうとしていました。趙の人質であり、政の愛人である趙姫(コン・リー)は、政の理想に共感し、燕に攻め込む理由を作るために、人質の燕王とともに燕に入ります。そして、そこから政に対して刺客を差し向けることで、燕に攻め入る理由を作ろうというのです。そして、燕に入った趙姫は、有名な刺客、荊軻(チャン・フォンイー)と知り合います。もう決して人は殺さないと誓った荊軻に、趙姫は心ひかれます。一方、政はお家騒動やら、趙国の征伐で残酷非道な王として、その名を知らしめます。かつての政ではない、その振る舞いに趙姫は自分の行為を悔いるのですが、それを聞いた荊軻は自ら刺客として名乗りを挙げるのでした。

ずは、巨大なセット、モブシーンのスケールの大きさ、美しくも重厚な美術と、視覚的に圧倒させられてしまいました。お金かかってます。これぞ看板に偽りなしの大作と申せましょう。その中で繰り広げられる王と刺客と愛人のドラマは、意外なほど現代的な視点で語られます。もともと、主人公の趙姫なる女性は実在しなかったらしいので、これは歴史ものと言うよりは、秦の全国統一を舞台にした、愛と野望のドラマというのがあたっているかもしれません。

れにしてもコン・リー演じる趙姫の美しさは只事ではありません、それも人工的なものを感じさせない、天然モノの美しさです。秦の王が心奪われるのも納得のヒロインです。そして、その時代の女性というより、現代の奔放で自由な女性のキャラクターを与えられて、ドラマの中で燦然と輝くのです。これはもうヒロインの映画と言って過言ではないと思います。一方、彼女を間にはさんで対峙する2人の男の描き方も見事です。秦王、政のキャラクターには日本で言うと豊臣秀吉のようなイメージがだぶります。理想に燃えながら、その力を伸ばしていくにあたり、身内や子供も容赦なく殺していく残虐非道ぶりは、現代の視点からすれば、人でなしのレベルで片づけられてしまいそう。でも、当時の文化からすれば、その非情さは王として時には必要だったのではないかと思わせるところもあります。そこに現代的な視点が入りすぎて、彼を完全に悪役のように見せているあたりは、ちょっとひっかかるものがありました。一方、刺客の荊軻は、ある仕事がもとで刺客稼業から足を洗った男として登場します。なぜ、彼が刺客稼業から足を洗うことになったかという理由がタイトル前に登場しますが、これが一つの独立した物語(一遍の短編小説を読むような)の味わいがあります。このへんは劇場でご確認下さい。その足を洗った刺客の仕事に死を覚悟で臨むあたりは任侠モノの趣もあり、また、趙姫のためにというあたりのリアリティも、コン・リーの趙姫なら、さもありなんという説得力があります。

して、暗殺は成功するのかどうか、これは劇場でご確認なのですが、このクライマックスは主演男優2人の大芝居が見物です。にもかかわらず、最後の最後にヒロインにさらわれてしまうのです。げに恐ろしきは「女」かなと思うのは私だけでしょうか。それとも「強きもの汝の名は女」というお話なのかなあ。でも、そんな物語を2時間47分飽きさせずに一気に見せるのですから、この映画のパワーは只事ではありません。

も単なる三角関係のドラマではありません。特に秦王が周りの国々を滅ぼしていくあたりのスペクタクルも見応え十分です。1960年代の歴史スペクタクル映画を思わせる人海戦術には圧倒させられますし、その際のリアルな音響効果も印象的でして、サラウンドのスピーカーから画面の外の音を出すことによる臨場感が圧巻です。また、チャオ・チーピンの音楽がコーラスも交えてスケールの大きなオーケストラ音楽を聞かせてくれます。

ジャックナイフ
64512175@people.or.jp

お薦め度 採点 ワン・ポイント
◎ 2点2点2点2点0点 たまに観るならこういう映画、歴史への興味も出てくるし。
戦のあるところに死人の山ができるんだなあ。
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