夢inシアター
みてある記/No.58

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ビヨンド・サイレンス
ビヨンド・サイレンス

聾唖の父母に育てられた娘が音楽に目覚めたけどなかなか大変。

1998.5.19 東京 銀座テアトル西友にて


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ラの両親は聾唖です。ララは幼いころから両親の耳と口となってきました。そんな彼女に叔母がくれたクリスマスプレゼントはクラリネット。父と叔母の間にはクラリネットを巡る過去があり、今もその確執を引きずっているようです。ララがクラリネットを学ぶことに、父はいい顔をしません。それでも、ララはその才能を伸ばし、叔母のもとで音楽学校へ入るための勉強を始めてしまいます。そして、彼女は人並みの夢を持ち、人並みの恋をするのですが、両親との間に「聾」というハードルをなかなか越えることができないようです。理屈では理解しあえても、心がついていかない人々の物語はまだ始まったばかりです。

の映画を観ていて一番ドキリとしたところは、音楽学校へ通うと宣言するララに向かって父親が「お前が聾だったら、一緒にいれるのに」というところです。随分とひどい事いう父親ですが、この言葉が彼の人生を語っているようであり、また叔母の印象的なセリフ「兄と向き合うと自分が悪いことをしてるような気分になる」ともつながっています。障害がこういう形の束縛を生むということを静かなドラマの中できっぱりと描いていることに驚かされてしまいます。でも、障害に限らず、人間関係の中で、無意識の中で他人を威圧したり、束縛したりすることって他にもありそうです。親が自分の望むように子供を束縛すること、「おまえの為を思って」と言いながら、実は親のエゴの為に子供を振り回してしまうこと。この映画では、娘の方が両親の為にいろいろと働いてますから「おまえの為を思って」というお為ごかしが効かないだけに、その親子の確執は、深くもありますが、妙な偽善ぽさのない純粋な気持ちのやりとりとも言えると思います。決して「お前のためを思えば」なんて言わない父親は、エゴイスティックである一方で非常に誠実な人間だと思えた次第です。

しろ、偽善性が顔を覗かせるのが、健常者であるララと叔母の関係の方だというのが興味深いところです。「お前のために」と言いながら、ララを自分の思うように動かそうとする叔母。でも、その叔母を悪役として切り捨ててしまわないところにこの映画の全編を貫く細やかさがあります。この映画の中で描かれるのは、そんな人間の善悪ではなくて、善悪兼ね備えた人間の心の伝え方の物語だと思いました。伝えたいけど、伝わらない思い、もどかしい気持ちだけが相手を傷つけてしまう、そんな葛藤の中で、ヒロインのララがそれでも元気に前向きなのがうれしい展開を見せます。

象に残るシーンが一杯あります。ララが母親からコンサートチケットをもらうところ、そのコンサートの音楽の素晴らしさ、喧嘩ばかりしている父親と叔母が、家の中と車の中という距離をへだてて交わす手話の会話、ララなんかよりずっと元気に屈託無く育つ妹マリーの健気さ、父親やララ、叔母の心を見抜いてそれらを暖かくフォローする叔父の存在、それらを積み重ねていってラストで見せる和解の切なさ。ラストのセリフ(手話)の後、画面が暗転してエンドクレジットが出始めたところで、涙がこみあげてきてしまいました。もう少しエンドタイトル長くしてくれないと、恥ずかしいじゃないかと文句つけたくなっちゃいましたです。

ラリネットという楽器は学校のブラスバンドなんかでは、金管楽器に比べてぱっとしないし、フルートのような華麗さもありません。なんだか地味な楽器という印象でしたが、その音色が人の想い、切なさを表現して、この映画の内容とうまくマッチしています。ヒロインのララを演じるシルビア・テステューは、少女時代を演じる天才美少女タティアーナ・トゥリープに比べられて、ちょっと気の毒な気がしました。ちょっと見はあまり似ていないんですよ。でも、なんだか思い悩むことの多いララが笑うと、少女時代の面影がさーっと出るんですよね。それは、彼女が幸せな少女時代を送ったということにもなるわけです。偶然かもしれませんがうまいキャスティングをしたものだと感心しました。脚本・監督のカロリーヌ・リンクは、これが長編第一作だそうですが、聾唖の設定を使って音楽の素晴らしさを語ってしまうあたりはお見事です。ともかくも劇場で一度観てください。色々な想いが観る人の心をよぎるステキな映画のご馳走です。

ジャックナイフ
64512175@people.or.jp

お薦め度 採点 ワン・ポイント
◎ 2点2点2点2点0点 人はもっと他人を理解することができる可能性を持った生き物。
ラストシーンでぐっとこみあげる感動。
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