夢inシアター
みてある記/No.55

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マッド・シティ
マッド・シティ

-MAD CITY-

ホフマンとトラボルタがマスコミの狂気をえぐる.....って程でもなくって。

1998.5.9 川崎チネBeにて


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ーカル局のレポーター、マックス(ダスティン・ホフマン)が取材先の博物館で遭遇します。それは経費節減でクビになった警備員サム(ジョン・トラボルタ)がショットガンを持って館長に復職を迫りに来たのです。それだけならまだしも、暴発した銃が他の警備員にあたり、逆上したサムは館長と見学の子供たち、そしてマックスを人質にして博物館に立てこもってしまいます。マックスはレポーターとして、そして警察との交渉役を買って出て、サムとの単独インタビューも取り付けます。でも、根が善良でかつアホなサムは「家に帰りたい」って言うばかりで、事態はちっとも進展しません。インタビューのおかげでサムに世論の同情を集めるのに成功したマックスですが、それとて長くは持ちません。キー局からやってきたキャスターがマックスのこのスクープを横取りしようと画策したり、ますます事態は収拾がつかない方向へと進んでしまうのでした。

を失った善良な男が、銃で脅して、子供を人質にとって立てこもる凶悪犯になってしまいました。巡り合わせの悪い奴をトラボルタが善良さと間抜けさで好演しています。一方、たまたまそこに居合わせたおかげで、大スクープをモノにするホフマンも自信満々の中に野心と良心の葛藤するキャラクターを熱演しています。特に自分がこの事件を全てコントロールできると思い込んでいて、かつ実際にある程度まで、事件を仕切ってしまうあたりの可笑しさは、見終わった後、気がつきました。人質のくせに自由に博物館を出入りして、犯人のスポークスマンみたいなことをやっちゃうのですから、なんだか変です。でもドラマの流れの中でその変なことを自然な展開のように見せているところが、要注意です。

の事件が発生すると、イナゴの大群のように報道陣が押しかけてきます。サムの見たこともないオヤジが親友だとインタビュー受けたり、家族までマイク攻勢をかけられたり。でも、この類の大騒ぎはテレビのワイドショーを見慣れている人には特に目新しくもありません。全体として、マスコミの狂気を描こうという節が見受けられるのですが、そんなこと言われなくてもって気分です。また、コスタ・ガブラスの演出はそういうマスコミのドタバタをパロディというよりは、シリアスな展開の中で描いていますので風刺コメディとはなっていません。

して、この類の映画としては珍しくも、何の意外性とか、どんでん返しもないまま、ほとんど予想どおりに最後まで行ってしまいます。いわゆる予定調和というわけですが、その予定調和が何とも不思議な後味を運んできます。よく考えれば随分と理不尽な展開、ひどい結末ではあるのですが、一方それは意外性のない、退屈な結末になっているってところが気になります。題名の「マッド・シティ」というのも、気になりました。この映画はある特定個人の人質事件を扱っているのであり、それに「狂った街」ってのは随分と大げさな題名じゃないかという印象です。社会正義がまだ信じられていたころならともかく、この現代の社会を描くのには随分と青臭い題名ではないでしょうか。「正気の街」ならまだ反語的な面白さはあるかもしれませんけど。

も、この展開の自然さに慣れきっている我々の方が、ちょっと狂っているのかもしれないという気分になってきました。マックスが最後にマスコミ社会に対して批判的なセリフを吐くのですが、それが空虚に響いてしまう街、マスコミの情報操作やえげつない取材とかそういうものが当たり前の事として受け入れられる街が「マッド・シティ」なのではないかしらと思い至った次第です。つまり「マッド・シティ」はスクリーンのこちら側を指しているのではないでしょうか。この映画を観て、「マスコミなんてこんなものさ。何を今更ガキみたいな事を。」と鼻で笑う人の正気を問う映画なのかもしれません。

ジャックナイフ
64512175@people.or.jp

お薦め度 採点 ワン・ポイント
○ 2点2点2点1点0点 よそで、この映画をほめた文章がないので見方を変えてみました。
トラボルタのアホぶりが笑えないリアルさ。
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