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<出演者>
<仕切り直してみれば・・・> 「もう観なくてもいいかな...」去年ウィーン版エリザベートを観終わった直後には、確かにそう思っていたはずでした。オリジナル版と宝塚雪組版は全くの別物だと自分にいくら言い聞かせても、そのあまりの違いに頭の中が混乱してしまって、オリジナル版そのものを鑑賞する余裕を失ってしまっていたのでしょう。しかし、途中宝塚星組版という、もうひとつ別物の「エリザベート」と、なつかし雪組版に近い、一路真輝トート主演のガラ・コンサートという2作品を通して、オリジナル版もぜひもう一度観たいなと、いつしか思うようになっていったのでした。
特に今回は主役エリザベートを、ファーストキャストの Maya Hakvoort で観られたのが、最大の収穫だったかもしれません。外見的にはがっしりと骨太の熟女で、少女時代のシシィは見慣れるまでちょっと大変でしたが、その鈴を振ったような歌声は、言葉の通じない外国人の観客(毎度、おゆうの事でありますが。)でさえ、魅了してやまないものでした。特に、新婚の朝に歌う「私だけに」を聞いた時には、シシィが熱望した自由の世界がどんなものだったか、手にとるようにはっきりと感じられ、当初は工事現場にしか見えなかった舞台装置だったのに、床がVの字に折れ曲がった中央にシシィがすっくりと立って歌う姿こそが、自由に羽ばたく鳥に乗ったシシィ自身を表現しているんだという事に気が付くに至っては、「そうか、あなたはそんなにまで束縛を感じていたんだねぇ。」と心の中で深く頷いておりました。 こうして、舞台装置が雄弁に語るところに目をやれば、世紀末の混沌とした社会状況や、死の影に取り憑かれたハプスブルク家の崩壊の様が、実に面白く表現されているのが、ようやく分かったのでした。本当に前回はなんで気が付かなかったんだか・・・ オリジナル版に登場するシシィは、良くも悪くも人間味豊かに描かれています。もし、ここで語られているのがかなり事実に近いのであれば、やはり彼女は極端なマイペース人間だったのかもしれません。でも、そこが第三者から見ると興味をそそられるという寸法でして、姑ゾフィーとの確執に勝ってフランツと和解したはずの一幕幕切れでは、きっぱりとフランツから顔を背けていますし、病院慰問の場面でも嫌悪感や恐怖心を隠そうともしません。宝塚版ではなかった場面のひとつに、心霊術で大好きな父親の魂と交信するという結構カルトなシーンがあるのですが、その声に「おまえは決して自由になれない。」と言われてしまったりと、精神的にいつも追いつめられていた人だったんだなぁと、狂言回しルキーニの説明を待つまでもなく感じられました。そこに、加齢による容色の衰え、つまりは持ち前の美貌で成しえていた民衆統率力の衰えや、愛息子の自殺という悲劇が追い討ちをかければ、いくら気丈なシシィと言えども、死(トート)の誘惑に乗ってしまいたくなるのは無理からぬ事でしょうが、そこであんなに誘いをかけていた死からも拒絶されてしまっては、本当に身の置き所がありませんね。最後にルキーニを通して、死(トート)がとうとう迎えに来てくれたと悟った瞬間のシシィの幸福感、解放感はいかばかりだったでしょうか。フィクションの世界での出来事と割り切れば、これも一種のハッピーエンディングと言っても差し支えないでしょう。 さて、この他にも幾つか今回気が付いた点があるのですが、このラストシーンで死(トート)がルキーニを使ってシシィを我がものにしようとした時、フランツはそれを阻止しようとしたのに、ほんの僅かの差でトートの動きの方がが早かったようです。これで、最後の最後までフランツはシシィを思い続けていたというのが分かりますね。また、フランツが夜の淑女(?)から例の病気をもらってしまい、それがシシィにも感染してしまったというくだりも、ゾフィーの家臣たちがフランツに当てがう女を、マダム・ヴォルフのコレクションから選ぶ時に、ルキーニが「その女は病気持ちだよ」と、指摘していたんですね。その後はトートによってシシィに事実が知らされ、それを理由に益々皇后の務めから自分を遠ざける訳ですが、宝塚版ではここはフランツの単なる浮気、シシィが倒れたのは、過激なダイエットの為(これも事実ではあるらしいけど)という展開になっていたので、今までフランツをあまり省みなかったのに、何故この程度の事で「どうすればいいの?私もう生きていけない。」などと言うのかな・・・とちょっぴりひっかかるものがあったのですが、なるほど納得でありました。 そうそう、ルキーニが皇帝陛下と皇后グッズを売り歩くシーンは、オリジナル版にもちゃんとあって、ここは客席から歌いながらの登場で、通路近くの観客にシシィの写真見せたり、ちょっかい出してみたりとサービスたっぷりで、最後には客席に何か物まで投げていましたね。で、そのブツのひとつが落下したのが おゆう のすぐ隣の女性のところだったので、横目でしっかり観察したところによると、セロファンに包まれたチョコレートでした。彼女は拾いあげるとすぐに包みを開けて、ムシャムシャ食べ始めたので、匂いですぐ分かっちゃいましたよ。もうひとつ宝塚版には無いサービスをあげると、二部の幕開き直後のハンガリーの戴冠式のシーンでは、オーケストラのトランペット奏者が舞台に上がって、ソロ演奏を聞かせてくれるのがかなりの迫力でした。 あと、男性同士のキス・シーンがびっくりだったルドルフの自殺場面で、トートと手下の黒天使達がいきなりドレス姿の女装で登場するのが、意味不明だったのですが、実はトートが心中相手のマリー・ヴェッツェラ嬢に化けるの図だったんですね。そういえば、ここの音楽の原題はそのものズバリの「Mayerling-Walzer」(マイヤーリンク・ワルツ)でしたっけ。宝塚版では、マイヤーリンクのマの字も、マリーヴェッツエラのヴェの字も無かったので、ピンと来なくても仕方なかったかもしれませんけど・・・ ところで、音楽の都ウィーンはお菓子の都でもあって、甘党さんには楽しみが多いです。有名どころのお菓子の中に、カイザーシュマーレン(皇帝のつまらないもの)という名前の、フランツが好んで食べたという一品があるのですが、これに挑戦する機会がなかったものですから、今度こそと思っていたところ、レーニンや詩人のアルテンベルク(と偉そうに書いていますが、ホントは誰だかよく知らないんですけど。(^^;)もたむろしていたという歴史的なカフェのひとつ、ツェントラルで食する事が出来ました。要するに、パンケーキをぐちゃぐちゃに崩したものに、レーズンとラズベリージャムと粉砂糖をかけただけという、拍子抜けするほどシンプルなものでして、こりゃ質実剛健なフランツがいかにも好みそうだわいと思った次第ですが、最近インスタントのものがク○ールから発売されたと地元の人に教わったので、お土産に買ってきました。さぁて、東京でウィーンの味再現となるかどうか?
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