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幼いころから、宇宙を見続けてきたエリー(ジョディ・フォスター)は地球外生命体からの信号を監視し続けてきました。そして、ある日、宇宙からの信号をキャッチすることに成功します。そして、それは知的な文明からのメッセージだったのです。その信号を解析したところ、それは何か人間の乗り込む装置の設計図だったのです。そして、世界が協力してその装置を作るところまでこぎつけます。エリーもその乗組員として志願します。さて、彼女はその装置の乗組員に選ばれることができるのか。そして、人類は宇宙からのメッセージの先に何を見つけるこができるのでしょうか。 世界的な天文学者カール・セーガンの原作による、未知の地球外生命とのコンタクト(接触)を描いた映画です。と、書いてしまうと「未知との遭遇」のようなSF映画を連想されてしまうかもしれませんが、この映画の描くものは、地球外生命とか、地球外の宇宙といったものではありません。むしろ、エリーという女性を通した、人類の宇宙に対する接し方、見方についての映画と申せましょう。 広大な宇宙の中では、人間の存在なんてちっぽけだし、その存在する時間は宇宙の時間の流れの中では、瞬きする間もないくらいです。人間は科学という手段でこの宇宙に対して接してきました。一方、人間は信仰というものを持っていまして、神を信じる人が結構います。この映画によると、そういう信仰の世界と科学というのが、うまく共存できていないらしいのです。私にはピンと来ないのですが、この映画の中で乗組員の資格審査のところで「神を信じるか?」なんて質問をされちゃうのですよ。それから神を信じない者に、乗組員になる資格がないようにわれてしまいます。 宇宙を研究していくにあたって、カール・セーガンが、宗教関係者と色々な軋轢を起こしたのかなあという気がしてきました。つまり、人間が宇宙を受け入れるというのは、キリスト教の信者が、進化論を受け入れる位インパクトがあることらしいのですよ。宇宙に生命体?、そんな神を冒涜するようなことを、というふうな議論があったのかもしれません。そんな中で、ヒロインは宇宙からの声に耳を傾け、その声に応えようとします。そして、クライマックスは、光と音の大スペクタクルが展開します。 しかし、そのコンタクトの結果は、この映画の中で詳しくは語られません。それは、人間一人一人が自分の中で解決すべき問題だと、言っているようです。ただし、信仰と科学はお互いに相反するものではなく、純粋に「真理を追究する」という視点からすれば、同じ方向を向くことも可能だとしています。信仰と科学との対立は、そこに利害関係とか、憎悪といったものが存在したときに起こるのだと言いたいようです。 一見、宗教家の言うことは科学を否定している、あるいは科学は人類を不幸にするなど、お互いけなしあっているところもあるのは事実なのですが、両方ともお互いに相手の言うことにきちんと耳を傾ければ、共通点を見出すことは可能なのかなという気にさせる映画です。そして、科学は事実を積み重ねることによって、真実にたどりつくのですが、人間の心を通すことなくして、真実を伝えることはできないと語っているようにも思います。特に、映画のエピローグの部分では、事実(fact)と真実(truth)の違いについて考えさせられてしまいました。ラストでロインは、ある真実にたどり着くのですが、それが事実なのかどうかは、誰もわからないのです。もし、それを知っている人がいたら、それこそ、神なのかもしれません。
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