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<主な出演者>
<あらすじ> 昔、シンデレラという娘の住んでいる国では、王子さまのお妃探しのために、国民を招いての舞踏会が開催される事になりました。シンデレラの継母や二人の義理の姉も、舞踏会で王子さまに見初められようと、おめかしに余念がありません。けれどシンデレラは3人の家族の支度の手伝いや、家事一切をしなければならないし、もちろん着て行くドレスも持っていませんから、舞踏会には出かけられないのです。姉たちの様子をうらやましく見ているだけでした。一人取り残されたシンデレラは、仲良しのおばあさんに自分もどうしても舞踏会に行きたいと打ち明けます。彼女の心からの願いを聞いたおばあさんは、忽ちのうちに美しい妖精に変身したかと思うと、魔法でカボチャを馬車に、はつかねずみを御者に仕立て、シンデレラにはきれいなドレスを着せて舞踏会へと送り出してやるのでした。舞踏会では、シンデレラの美しさは注目の的。王子さまも一目惚れしてしまいました。しかし、二人の楽しい時間は瞬く間に過ぎ、魔法が解ける時刻の12時を報せる時計の音に、シンデレラは慌てて王子さまの前から名前も告げずに姿を消すのでした。後には脱げてしまったガラスの靴の、片方だけが残っていました・・・・ <感想> パンフレットを読むまで知らなかったのですが、この古典的童話のミュージカル化は、かの巨匠ロジャーズ&ハマースタインの手によるテレビ番組用に作られたのが最初だったそうです。1957年当時で既にこんなに見応えのあるミュージカルが家庭で見られたなんて、さすがミュージカル発祥の国はスケールが違いますね。しかも主役はその頃新進気鋭のスター、ジュリー・アンドリュースだったとか。全くうらやましい環境です。 さて、ミュージカル版「シンデレラ」ですが、誰でもソラで話ができる位よく知れ渡った内容ですから、ドラマとしての目新しさは今更何もないです。でも、よく知っている物語だからこそ、それが忠実に立体化されて、目の前に現れて来るのを鑑賞するのは、なかなか感動的でした。だって、頭の中で勝手に描いていたイメージどおりの舞台なんて、そうそうお目にかかれるものではありませんものね。 それにミュージカル版でのシンデレラは、逆境にもめげない元気で明るい少女、という所に力点が置かれていて、いじめられっ子の陰湿さが無いのがいいです。継母や義姉たちも、あれこれと用を言いつけては、シンデレラを思いっきりコキ使ってはいるのですが、こちらも意地悪さよりおマヌケけさが強調されているので、ジメッとした感じは余りありませんから、観ている方もただ単純に「そうそう、いい子は幸せになれるんだよね〜。ああ、めでたい、めでたい!」と喜んでしまえるのが、このテのストーリーの醍醐味でしょう。 お城での舞踏会シーンやカボチャの馬車、美しいドレスなどなど、見た目の華麗さというのもこの作品の見所だと思うのですが、白い大階段に敷かれた赤いカーペット、鏡とドライアイスを使ったシンデレラと王子さまのダンス・シーンと、どれもシンプル、それでいてロマンティック、と大人が見ても満足の演出でしたが、ピーターパンと同じくピーター・フォイ氏のフライング・デザインによる、白馬四頭立て(もちろん、4人の人間が馬に扮しているのですが)御者付きの黄金のカボチャの馬車が、静々と空から舞い下りて来るシーンには、度肝を抜かれてしまいました。(総重量は一体どれくらいになるのかしら・・・)音楽だって、もちろん生オーケストラだったし、最早お子さま向けミュージカルなどと侮っている場合じゃありませんよ、ホントに。 出演者も安定感のある役者さんが多く、安心してお芝居を楽しめました。元宝塚出身の麻乃佳世の舞台を観るのは退団後はじめてでしたが、シンデレラの様な初々しい少女はまさに適役ですね。宝塚時代の「PUCK」でのハーミア役の好演を思いださせてくれました。またこの日は座席がやや端寄りだった為に、音響があまりよくなかったのですが、妖精役の久野綾希子は台詞も歌詞もズバ抜けて明晰で、非常に分かり易いのが流石と感心すると同時に、悲しきスミッコ席の観客にとっては大変ありがたかったです。あとは、王子さまがもっと好みのタイプだったら本当に文句なしだったのですけど、つい先日「美女と野獣」で「違いのわかる男」の我が愛しの「石丸幹二」王子さまに約9ヶ月ぶりに再会し「やっぱり、生身の人間で王子役が出来るのは、石丸王子ただ一人!」とウットリしてきたばかりなので、王子さまだけは他の誰がやっても NG が出てしまうんです〜。ミーハー? ですよね・・・。 |